この世界は「全体の全体」です。
だからこうして鳥の鳴き声が聞こえてしまうわけです。そのようなことを思ってしまうわけです。呼吸ができてしまうわけです。あるいは行動をしてしまうわけなのです。
この世界の真理が「それ」でなければ、あるいは「繋がり」でなければ、もしくは「全体の全体」でなければそうはなりません。決してそうはならないのです。
朝になって起きること。洗面をすること。何かを食べること。排泄をすること。会社に出勤すること。その道中で色々なことを思うこと。このような身近な事実が「このこと」を物語っているのです。
逆に言えば「このようなこと(全体の全体)」だから事実はあるわけです。世界があるわけです。私があるわけです。今があるわけです。「このようなこと」だから全ては生まれてくる、存在できるわけです。あらゆる事実は生じるわけです。
頭の悪い人、生きる目的がない人、どのような人であっても例外なくこの全体の全体です。また例外なく、そこでは鳥の鳴き声が聞こえているわけです。実際に今そうしてこの春の暖かくもあり、涼しくもある陽気を寸分くるわずに感じているわけです。あるいは見方を変えると、仮に無能であったとしても、そのような人がいるから有能な人は生きていけるのです。存在ができるのです。
仮に気づこうが気づかまいが、事実、人の間には優劣がありません。全ては同じ「性質」です。「繋がり」という性質です。全く同じ事象です。
私が今こうした内容の記事を書き、そしてあなたがこれを目にしているのも、それはある意味、そうした「規則」だったということです。
ただ、全体の全体だったということです。過去現在未来は共に、それ以外のことがないのです。


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