今孤独死が社会問題になっておりますが、これはとても重要な問題です。
私も今一人で部屋の中におります。確かに寂しいといえば寂しい、孤独といえば孤独なのかもしれません。
人はこの孤独感にとても弱い生き物です。温もりを求めてしまう、誰か他の人にそばにいてほしい。ペットではやはり補えない部分もそこにはあります。
仮に結婚をしなかったら、一生このままです。ずっと孤独のまま、ずっと寂しいままなのかもしれません。
しかし今ここ、この状況を正しく俯瞰した時、果たしてそれは本当に「孤独」だと言えるのでしょうか。
例えば私は呼吸をして生きていくことができます。この呼吸ができないことには生きていくことができません。そしてその呼吸には酸素が必要です。今私の東西南北には、その酸素が無数に散らばっております。つまり私の元となる要素が、そこにはたくさん散らばっているというわけなのです。孤独とはとても呼べないような、実はとても賑やかな状況になっているというわけです。
あるいはテーブルや、文房具、カーテン、さまざまなものがそこには置かれているわけですが、これらも私を生かすための道具です。つまり私の生死です。そのような「私そのもの」ともいえるものが、あるいは私と地続きの仲間が、そこには多くいるのです。
また我々は何かを食べなければ生きていかれないわけなので、スーパーでよく食材を買うと思います。これからも常に買い続けると思います。そこには多くの「私」があるのです。
要するに私という存在は常に他によって存在させられているのです。他によって成り立っているのです。それは人との繋がりだけを意味しているのではありません。目に見えないものでもそれは繋がりであって、事実私の命であって、常にそこでは何かに「繋がれている」状況のわけなのです。
生まれたばかりの赤ん坊は一人では生きていくことはできません、必ず親御さんの支えがあって、あるいは周りの人の支えがあって、子供へと成長し、大人へと成長していきます。
今孤独に見えるようなこの私も、そういった結果だったのです。繋がりの産物だったのです。今もその状況と変わりません。私は「繋がり」というそのものです。
我々は必ず他の支えによって生きていくことができるのです。他の支えが私なのです。私が生きている事実があれば、そこには他者がいるということです。そこには多くの支えが確かにあるということなのです。
果たして「孤独」とはなんでしょうか。


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