道元禅師は「お水」を使いたい時は、山内を流れる谷川の水を「杓一杯」すくいながら使っていたと言います。また自分で使う量以外の水は決して使うことはなく、余ればまた元の川に流したと言います。どんなに少なくても、決してそれを無駄にはしませんでした。
今回は少し仏法的な話とは逸れてしまい恐縮なのですが、これ以上の「環境家」はおらないわけです。もしこうした人物が増えれば、どんなに地球は豊かになっていくことでしょう。あるいは今抱えているさまざまな問題もそれだけで解決してくるのではないかと思われるほどです。時にこれが、地球という環境的な世界に生きている我々の一般教養にでもなりはしないか、とさえ思うのです。
人数は非常に少なくなったとはいえ、今も結果としてこうした生活をしているのが禅僧だったり、禅寺で修行をする修行僧様たちです。
名刺の交わし方や、稟議書の書き方に、回し方。会社や組織の売上の作り方のことなど、そこからすると本来どうでもいいことのわけです。こうしたことこそが、本来の社会のルールなのであって、社会活動なのであって、そう思うと禅僧以上の社会人はいないわけです。笑見本となる生活もないわけです。
おかゆ、たくあん。一日に2度の必要最低限の食事、洗鉢、托鉢、坐禅。あるいは化学洗剤など使わなくとも、毎日雑巾を使って清掃をするだけで、手の施し用がないほどピカピカになります。不思議なことに虫も湧きません。
全人類の基盤となるもの。定義となるもの。それが禅僧であり、仏教者のわけです。
水を無駄にしない。スリッパを揃える。姿勢を伸ばす。今であれば見向きもされないようなことが、実はとても大切なことのわけです。
我々人間が生きる上でやるべきことは、内容としてはとてもシンプルなのかもしれません。それがこうした禅的な生活です。
もちろんそれは簡単なことではないですが、このような生活に変えていくことで、あるいは少しでも変えていくことで、世界は救われるのではないでしょうか。あるべき世界になっていくのではないでしょうか。お金稼ぎよりよっぽど世界のためになるのではないでしょうか。巨大な企業で活躍する人も、たった1人の禅僧には敵わないのではないでしょうか。
そうした人物が多くなること、または禅僧、および真の僧侶を輩出していくこと、これこそ最も具体的かつ、効果的な社会活動な気がします。
かく言う私には、とても無理な話なので、どなたかに引き取っていただきたいです。笑


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