大地は雨が降れば、潤い、そこで芽がでます。世界は常に、大自然の理を保ち続けております。
大自然の「大自然」を守り続けようとする仏法者もそうした「もの」でなければなりません。あるいは人間というものがそうでなければいけないのかもしれません。
恵みがあれば生きながらえるし、なければ枯れていく。布施があれば生きていけるし、なければ死んでいくということです。こうした生き方をすること、こうした見え方のできる生き方をすること、布施に生きること。それが仏法に身を投じる仏法者の生活様式です。
しかし実は誰もがその限りなのです。大自然に生きていない人間はおりません。仏法に守られていない人間はおりません。仏法を守っていない人間もおりません。古来の布施行という形式や、僧侶や出家行という形を採用しなくとも、そこでは恵みによって生きながらえているし、その恵みがなければ枯れていくという生き方をしております。またこうしている間にも生老病死をしておりますし、時に大きな地震に見舞われることもあるわけです。根本的にもそうだということです。まさに布施の布施なのです。大自然の大自然なのです。我々は「花」です。誰もが仏法者なのです。
恵みがあれば潤うし、なければ枯れていく。大自然にはこの1つのあり方しかありません。それ以外の働きもありません。たった1つのことなのです。我々もそうです。そこではたった1つのこととして、たった1つの働きを、たった1つのあり方をしているのです。
仮に生きながらえることができなくても、贅沢に生きることができなくても、死ぬまで生きることができること、ここでは死ねないことがないということ、死ぬということができること。それだけでいいのです。それしかないのです。それだけで仏法者なのです。誰もが仏法者なのです。
それは水と同じ、「恵み」のわけです。我々はよく「死とは何か」だったり、輪廻や、死の先のことまで考えるわけですが、そういったことではなかったわけです。


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