道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。
今回は「慧可断臂(えかだんぴ)」についてお送りいたします。
筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。
こんにちは「harusuke」と申します。
2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。
さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。
それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?
ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。
慧可断臂とは
今回の「慧可断臂」とは何でしょうか?
皆様も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
昔、慧可禅師(えかぜんじ)と呼ばれる立派なお坊様がいました。
この「慧可様」は中国に「真の仏法」をお伝えになったと言われる「達磨大師」のあとを継ぎ、いずれは中国禅の「第二祖」となられる方です。
その「慧可様」にまつわるお話がこの「慧可断臂」なんですね。
「断臂」と書くくらいですから、すこしおぞましい話なのではないかと予想される方もおるでしょう。
そう、この「慧可断臂」は大変おぞましい話なんです。
というのもこの「慧可断臂」とは嵩山で面壁をされる「達磨大師」に慧可様が教えを請うために参じたが、達磨大師が「面壁坐禅」をするばかりで、何も気の利いたことを言ってくれない。
そこで雪の降りしきる中、自分の「求道心」を示すために自分の肘を断ち切ったというお話だからです。
つまりこの「慧可断臂」とは達磨大師に、慧可様が自身の「覚悟」を見せる為に実際に肘を断ち切ったと言われるお話なんです。
もしこの「慧可断臂」が本当の話であるのならば、これは大変「グロテスク」な話であります。
この「慧可断臂」に関しては様々な「関連書」が発行されたり、これまで多くの研究者によってその「真偽」が問われてきました。
そして中国に留まらず、日本においても多くの「師匠」と「弟子」との間でよく参考にされたお話でしょう。
正直この「慧可断臂」に関しては単なる伝説に過ぎないという見解が強いです。
しかしそれが「本当か」それとも「嘘か」というのは大した問題ではなく、これまで多くの仏法者や一般人の支えになった「真実のお話」であるということに目を向けるべきです。
そして室町時代に「雪舟」が描いたとされる「慧可断臂図」はあまりにも有名で、現在は国宝にもなっておりますが、これまで本当に多くの人に「仏法」がどれほどまでに「真剣な教え」なのかを考えさせたことでしょう。
「慧可断臂」。多くの人の心に寄り添う、魅力的な話。
その「慧可断臂」の経緯について以下で少し見てみましょう。
慧可断臂の経緯
インドから中国に「真の仏法」を伝えたとされる「達磨様」。
当時この「達磨様」が中国に渡られてから何をしたのか?というと、「嵩山」にある「少林寺」にてただひたすら「坐禅」をしただけなんですね。
特に「真の仏法とは○○だ!」とか説法をされるわけでもなく、「真の仏法についてしるされた経典」を持ち込んだわけでもありません。
ただひたすらに「面壁九年の坐禅」をされただけなのです。
しかしそれが「真の仏法」の正体だったんですね。
仏法は「生命の実物」以外の何物でもありませんから、ただひたすらにその「正解」を実践されるだけだったのです。
「正解を実践する」。
これこそが本来の布教です。
むしろ「布教」でもありませんね。
この世には「一つ事」しかありません。
「達磨大師」はそのことに気付いておられ、たった一つの「真実」を実践していただけなのです。
このことは「わかる者には分かる」んですね。
達磨様が何をされているのか?
「嵩山」の少林寺でひたすら壁に向かって「坐禅」を組むことがどういうことなのか?
こういったことは、わかる者には分かるんです。
また当時「達磨様」がインドからやってくるということで、中国全土でこの「達磨様」は評判になっていたことでしょうから、「インドからやってきた達磨は何もせずに洞窟の中で坐禅をしているだけだ!」という評判も瞬く間に広がったことでしょう。
そんな中、そのような評判が「慧可様」のお耳に入るんですね。
「慧可様」は結果、中国禅の「二祖」となられるほどの「大器」でしたし、その「求道心」は並々ならぬものがありました。
そんな「慧可様」だからこそわかったのでしょう。
この「達磨様」が一体何をされているのか?ということが。
当時、インドから「達磨様」がいらっしゃるということで、「武帝様」から「役人」からなにからなにまで、本当に歓迎ムードだったとされるんですね。
しかし中国にいざ入国した「達磨様」はさっそうと「少林寺」にのぼられ、面壁九年の坐禅をされてしまうんです。
ただ「坐禅」をするだけ。
そこで「慧可様」はこの人しかいない。
そう思ったんです。
「私が正師にすべき人はこの人しかいない。」そう思ったことでしょう。
そこでいざ「達磨大師」の待つ「嵩山」の「少林寺」に赴くんですね。
雪のふりしきる寒い冬だったのでしょう。
「慧可様」は洞窟の中で「坐禅」をする「達磨様」に初めて相まみえるんです。
そして「坐禅」をされている達磨様に、教えを請うのです。
皮切りに「私は常に不安な思いでいっぱいです、どうかそんな私を救ってください。」このように達磨様に伝えるんですね。
しかし達磨様は「それではその不安だと思う、お前の心を私に差し出して見ろ」そう言われます。
慧可様は何も言えなくなってしまうんです。
確かに「差し出そうにも差し出せない」んですね。
心なんてものは。
それは何故かと言うと、そんなものはどこにもないからです。
そこで慧可様は自分がこれまで葛藤していた「正体」に気付くんですね。
自分は目に見えない偽りに「騙されていた」と達磨様に気付かされるのです。
そのような経緯があって、慧可様は達磨様に今後も教えを請いたいと志願するんですね。
しかしそれでも「達磨様」は振り向いてくれない。
相手にすらしてくれない。
そこで自分がどれほどまでに真剣なのかを示すために、その「求道心」を示すために「自分の肘」を断ち切ったと言われているのです。
達磨様もその「求道心」に感服し、慧可様を正式な弟子とした。というわけです。
これが「慧可断臂」というお話なのです。
冒頭の画像をもう一度ご覧いただきたいのですが、そのような並々ならぬ「命のやりとり」がこの一枚の絵に隠されているのです。
「雪舟」の画力の高さが窺い知れます。
またこの「慧可断臂」に関しては、正直単なる「伝説」とする見解が強いです。
しかしこれまで多くの仏法者を導いて来た、救ってきた「仏法」の一部とも言える「真実のお話」なのです。
慧可断臂と道元禅師
そんな中、道元禅師もこの「慧可断臂」に影響を受けたお一人です。
道元禅師は「参学は一生の大事である」という見解を持っておられることから、この慧可様の「求道心」の高さを様々な著述でほめたたえておられます。
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