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道元禅師と真実仏法と道理(自然)について
「仏法とは道理の教えである。」 これはかつて永平寺で修行され、その後總持寺でもご活躍された佐藤俊明老師著の「修証義に学ぶ」という書籍に記されていた言葉です。 まさにその通りだなと共感したので、今回その思いについて述べてみたいと思います。 仏... 道元禅師と言葉延寿とは?
「延寿」という言葉があります。 今この言葉をwikipediaで引くと、「寿命を延ばすこと。長生き。」と出てきます。 延寿、延命。これらは普段我々もよく使う言葉ですね。 この言葉が出来た経緯が少し興味深いのでここでお話ししたいと思います。 延寿の背景... その他「慣れ」や「日常」と、どう向き合うか。そこと向き合うことが大切。
私がこの世に生まれてから36年の歳月が過ぎました。 幼少期は目に映るもの全てが珍しく、世界が輝いているように見えました。 外で遊ぶのも、学校へ行くのも、近所のデパートに行くのも、初めてのことばかりでただ、ただ楽しかったんですね。 また私は田舎... その他ここでは花が枯れ、腹が減る。私は仏。
ここでは花は枯れ、腹が減ります。それは絶対です。それは大自然の働きです。大自然は絶対です。 花だけでなく私の体もそうです。 それはどうすることもできません。しかし絶対ということは、それはある意味お救いです。 お救いとは「絶対に〜してくれる。... その他つまらない人生だろうと、つまらない掃き掃除だろうと
言わずもがな、ここの世界にあるもの。話はそれが全てです。一般的な考察や、何かの正体について定義したり議論するときも、この世界で起きている、この世界にあるものについてを話しているわけです。 この世界にすでに起きていること、これから起きそうな... その他「道は貧なり」。裕福が良いとは限らない。また貧乏だから良いという訳でもない。
「学道の人は、先づすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失ふ。在家学道の者、なお財宝にまとはり、居所を貧り、眷属に交はれば、直饒その志ありと云へども、障道の縁多し。古来俗人の参ずる多けれども、その中によしと云へども、なほ僧には及ば... 道元禅師に学ぶ法語:「水月の実ならず」
況んや八十年之化儀、水月の実ならず滅後二十八代之施設、鏡像の空なるが若とし仏を求め法を聞く之者、尚お仏見法見之辺に徘徊す 人を教え経を演ぶる之者 還って人執我執之坑に墜堕す 心外に仏を求むれば 仏変じて魔と成り 如上に楽を欣えば 楽化し... その他自己とは?この世界の真実、それが「自己」。その自己に親しむことが我々の生きる道
道元禅師のお言葉に「仏道をならうというは、自己をならうなり」というものがあります。 簡単に説明すると、 仏道を学ぶことを、他人事として捉えるのではなく、常に自らのこととして学ぶ必要があるとのお示しです。ただし、自ら自身へのとらわれは手放す... その他我々は「人間」ではなく、なぜ「仏」なのか?
我々は仏です。人間ではありません。 今回は生物学的な話かな?哲学的な話かな?この人大丈夫かな? いつも心配をかけ、本当に懲りないやつで、すみません。笑 そこでいうと私自身、今回の話がどういったジャンルに該当するのかわかりません。 いつも意味... その他いつも100の仏をいただいている。いつも救われている。
人の世界には貧富の差があります。あるいは性格の差、あらゆる境遇の差、容姿の差、能力の差、頭脳の差。 こうした様々な差があります。 さらにそのような「人としての差」以外にも、今置かれている実状況においても差が生まれたりします。 例えば毎日の通...