新着記事一覧
その他
「月」を「月」とすること/「坐禅」を「坐禅」とすること
この生死は即ち仏の御いのちなり。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏の方よりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。 こちらの一文は道元禅師著【... その他
人間の過ち/徒然なる日記vol.2
生きている人間は必ず過ちを犯します。時に凶悪犯罪に手を染めてしまうことすらあります。大小の違いはありつつも、誰しもが避けられないものです。 できることならそのようなことにはなりたくないわけですが、気づかずにそのようなことにもなっていたり、... その他
ほとけ、わたし。生死。「全体」
残念ながら我々はいつか必ず死んでしまいます。 その「死」というのは、ある程度予測できることもあれば、突然やってくることでもあり、大自然のあり方であって、いずれにせよ抗うことはできません。大地震と同じように、我々は常にそうした大自然にさらさ... その他
本当のこと(宗教)とは「足を組んでいる」こと。
神だろうが、仏だろうが、神を信じるものであろうが、仏を信じるものであろうが、あるいは無宗教者であろうが、なにであろうが、何者であろうが、誰しもが、腹が減り排泄をし、呼吸をします。 人間だけでなく、犬でも猫でも、鳥でも虫であってもそうです。... その他
手を合わせる生き方、仏教のある生き方、「人」の生き方
効率化を求めるあまり、今の人間は枝を剪定しすぎた樹木のようになっている。もしかしたら我々というのは現実的な、物理的なことはどうでもいいのかもしれない。例えば亡き母親の遺影に向かって毎朝「おはよう」と語りかけること。それによって1日が始まる... その他
仏法は「無我にて候う」。
我々は何か物を判断する時は必ず自分の「物差し」で判断をします。「犬のうんちは汚い」とか「ダイヤモンドは美しい」とか。 そういった自分の「物差し」というのを人間であれば必ず誰しもが持っており、それを元に生活を送るわけです。 もちろんそのよう... その他
たった「1つ」のこと/足を組みなさい
以前↑こちらの記事にも書きましたが「何かを見ること、何かが薫ること、針で指を刺すと痛みを感じられること、味を感じれらること。生きること、死ぬこと。」我々にはこのような感覚や、決まり事が初めから備わっております。 例えば「熱湯」に手が触れた... その他
我々には「それ」以外のことがない/たった1つのこと/「ある」ということ。
「たった1つ」というのは「それ以外ないということ。」あるいは「そこには本当にそれ以外のことがない」ということになるわけですが、この世界はそのたった1つのことです。「世界」と言う以前に、「たった1つのこと」です。全ては「たった1つのこと」です... その他
フランスでも大人気な「禅(zen)」について
大自然の人、真実の人、全体の全体の人、たった1つの人、人間のそれの人、心のままの人、ありのままの人。抽象的ではありますが、私は仏法者について、あるいは「人」の本当にあるべき姿というのは、「そういうもの」であるべきだと思っています。 時に良... その他
たった1つのこと(坐禅)
我々には「今、この瞬間」だけが存在しております。これは意を介す必要のないことで、紛れもない事実でしょう。 つまりそれは「全てには今しかない。すべてのことはいま、ここのことだ」という意味です。例えば電車に乗っていること、コーヒーを飲んでいる...










