2026年– date –
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その他
今、ここで「坐禅を組むこと」/輪廻について
よく仏教は「縁起」の教えだと言われます。世界の真実や原理に着目したものが仏教ですから、そうするとその世界の真実というのは「縁起」ということになります。 この話には強く共感する次第です。 この世に存在するあらゆるものは、単独として存在してい... -
その他
坐禅とは?/「生きること」が生きること、「月」が月をすること
例えば「1秒」ごとに風化をしていくこと。あるいは寝ている間にもどこからやってきたかわからない酸素を吸い、呼吸を行っていること。時に冬となればその寒さによってブルっと震えること。また常に我々はそこで何かを思い、何かを行動しているわけですが、... -
道元禅師について
坐禅をすると「世界」が救われる/本当の仏教者とは?道元禅師の功績
今はお盆の時期です。そのお盆の由来となっているものに「盂蘭盆」という仏教行事があります。 これはもともと、サンスクリット語の「ウランバーナ(倒懸・逆さ吊りの苦しみ)」という少しネガティブな意味の言葉を語源としておりますが、そこには「ある1... -
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「悟り」の生き方/本来、人間は「悟り」。
私は、私の母がよく「手」を合わせる姿を見かけます。 朝住職が本堂でお勤めをした後の本堂で。あるいは檀家様からお野菜や、果物を頂戴した時。また毎日のお風呂の中にあっても、そこでは欠かさずに読経が聞こえてきますが、そこでもおそらく手を合わせて... -
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「月」を「月」とすること/「坐禅」を「坐禅」とすること
この生死は即ち仏の御いのちなり。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏の方よりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。 こちらの一文は道元禅師著【... -
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人間の過ち/徒然なる日記vol.2
生きている人間は必ず過ちを犯します。時に凶悪犯罪に手を染めてしまうことすらあります。大小の違いはありつつも、誰しもが避けられないものです。 できることならそのようなことにはなりたくないわけですが、気づかずにそのようなことにもなっていたり、... -
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ほとけ、わたし。生死。「全体」
残念ながら我々はいつか必ず死んでしまいます。 その「死」というのは、ある程度予測できることもあれば、突然やってくることでもあり、大自然のあり方であって、いずれにせよ抗うことはできません。大地震と同じように、我々は常にそうした大自然にさらさ... -
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本当のこと(宗教)とは「足を組んでいる」こと。
神だろうが、仏だろうが、神を信じるものであろうが、仏を信じるものであろうが、あるいは無宗教者であろうが、なにであろうが、何者であろうが、誰しもが、腹が減り排泄をし、呼吸をします。 人間だけでなく、犬でも猫でも、鳥でも虫であってもそうです。... -
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手を合わせる生き方、仏教のある生き方、「人」の生き方
効率化を求めるあまり、今の人間は枝を剪定しすぎた樹木のようになっている。もしかしたら我々というのは現実的な、物理的なことはどうでもいいのかもしれない。例えば亡き母親の遺影に向かって毎朝「おはよう」と語りかけること。それによって1日が始まる... -
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仏法は「無我にて候う」。
我々は何か物を判断する時は必ず自分の「物差し」で判断をします。「犬のうんちは汚い」とか「ダイヤモンドは美しい」とか。 そういった自分の「物差し」というのを人間であれば必ず誰しもが持っており、それを元に生活を送るわけです。 もちろんそのよう...
