仏法とは「これ」がなくては生きてはいけないというもの。

仏法とは簡単に言えば「これがなくては生きてはいけないもの」のことです。

例えば、宗教、思想、概念。マルクス主義、レーニン主義、そのようなものがなくても我々は生きていくことができます。また、こうした思想を持っているから偉いとか、こうした宗教を信じているから、お腹が余計に満たされたり、空が飛べるようになるといったこともありません。

そのようなものは本来の生命維持活動の上で言えば、何の意味も持たないのです。

その点、腹が減ること、喉が渇くこと、疲れれば寝ること、呼吸をすること。我々はこれがなくては生きていくことができません。こうしたものを「仏法」と呼びます。つまりは「生命の実物」のことです。

仏法とは宗教でも、哲学でも、思想でもないわけです。それは生命の実物のこと、この生の命のこと、生命そのもののことなのです。

また我々は何をしなくても腹が減る。何をしなくても消化をする。何をしなくても何かが聞こえ、何かを見ております。誰においても、どこにおいても、そこでは常にその「生命の実物尽くし」です。つまり「仏法尽くし」なのです。我々は常に救われているのです。

我々は喉が乾けば水を飲みます。猫なんて平気でトイレの水さえ飲みます。これがなくては生きていけないからです。関係ありません。

また足を組むと痛くなりますが、これもなくては生きていけないものです。つまり「坐禅」がなくては生きていけないのです。だから我々には「坐禅」が必要なのです。それは生きるためにやることなのです。

これがなくては生きていけないもの、それが「仏法」です。そしてこれがなければ生きていけないのだから、最も尊い。仏法が世界で最も尊い。仏法がなければ我々は生きていくことができません。我々には「仏法」が必要なのです。「仏法」だけが大切なのです。

実は世界はすべてそうしたものであふれております。なぜならこの世の全ての物事は、そうした「これがなくては生きてはいけないもの」の結果だからです。

ここは「これがなくては生きてはいけないもの」のみなのです。つまりここは「たった1つのこと」なのです。仏法で溢れているのです。坐禅のみなのです。これを「只管打坐」といいます。

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