ここでは道元禅師が残されたお言葉についてご覧いただけます。
筆者は道元禅師のお言葉の中で『傘松道詠』の中に登場する、
春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さへて冷しかりけり
というお言葉を慕っております。
禅の「言葉」
「道元禅師」は中国へ赴き、そこで師匠の「如浄禅師」と出会いました。その後正しい禅の流れを日本へ伝えました。
中国において誕生した禅の象徴は「不立文字(ふりゅうもんじ)、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」でありました。
これは学問を主としていた当時の仏教に対する批判でもある「言葉」でした。
「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)」とは、釈尊の教えは文字(経典)の上にあるのではなく、この文字(経典)の外に伝えられているという教えです。
「直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」とは、釈尊の教えの本質は、直接、人間の本性を見極めて、自己を明らかにするところにあるということです。
これはつまり、文字(経典)は、月(悟り)をさす指に過ぎないというのであり、いくら指を見ていても月は見えないのであり、指のさししめす方向にある月を見る事こそが大切であるということです。
しかし、当時の禅者は文字によってしめされた「経典」を全く意味のないものとしていたわけではありません。寧ろ実によく経典を学んでおりました。
その上で、経典を学ぶこと自体が大切なのではなく、経典に示された生き方を「実践」することの大切さを知っていて、自らしれを実践し、その実践によって自らの言葉で語っておりました。
そんな中「道元禅師」も多くの言葉を残しております。
百巻近くに及ぶ「正法眼蔵」は有名で、非常に難解な書としても知られております。
「言葉によって表現できない仏法を、言葉によって示そうとした」表現が用いられていて、まさに卓越した書物です。
その他にも、修行道場で、弟子たちに説法した内容の「永平広録」や、あまなく人々に坐禅のありかたを示した「普勧坐禅儀」、そして生活の規則を示した「永平清規」なども有名です。
また「道元禅師」は「詩」も親しまれ多くの「偈」も残されたのでした。
それでは以下で「道元禅師」の言葉に親しんで参りましょう。
「道元禅師のお言葉」
『正法眼蔵』より
- 「仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。」現成公案
- 「いまだ洗面せずば、もろもろのつとめともに無礼なり。」洗面
- 「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし」道心
『正法眼蔵随聞記』より
- 「学道の人衣食を貪ることなかれ」
仏道を学ぼうとするものは、衣食や食べ物をむやみにほしがってはいけないという意味。人々はそれぞれ、その人の一生の食べ物、寿命がそなわっており、与えられた分以上のものを欲しがってはいけない。ましてや仏道を学ぶものは施主から供養された衣食、托鉢による食べ物以上のものをほしがってはならないという意味。 - 「学道の人、自解を執することなかれ」
仏道を学ぶものは自己流の見解に固執してはならないという意味。自分自身で理解できたと思っても、もしかすると正しくないと思って、広く師僧をたずね、先人の言葉などを調べてみるべきだと言う意味。 - 「学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし」
仏道を学ぶものは身も心も投げ捨てて、ひたすら仏法のなかに入らねばならないという意味。 - 「学道の人は後日を待て行道せんと思ふことなかれ」
仏道を学ぶものは後日を待って修行しようと思ってはならないという意味で、今日ただいまの時をむなしく過ごすことなく、そのとき、そのとき修行に努めなければならないという意味。 - 「学道の人は人情をすつべき也」
仏道を学ぶものは、人間の世俗的な分別、愛着をすてなければならないという意味で、これは良い、これは悪いといった世俗的な価値観は捨て去るべきだと言う意味。 - 「学道の人は尤も貧なるべし」
仏道を学ぶものはとりわけ貧乏でなければならないということ。世間では財産のあるものには怒りと恥辱の難が必ずやってくるもの。仏道を学ぶものは袈裟と食器のほかは何も持ってはならない。無所得であるからこそ、なんの用心もなく、安らかな気持ちで修行に打ち込むことができるのである。 - 「学道の用心、本執を放下すべし」
仏道を学ぶ人の心掛けることは本来的な執着を投げ捨てる事であるという意味。執着を捨て、自分の体の姿勢、動作を正しくすればこころもしたがって正しくなる。 - 「学道は須く吾我をはなるべし」
仏道を学ぶものは自分という思いを離れなければならないという意味。たとえ多くの経典や書物を読んでも自己に対する執着を離れる事ができなかったら悪魔の穴に落ちて、二度と出られなくなってしまう。 - 「学人人の施をうけて悦ぶことなかれ」
仏道を学ぶものは人から布施をうけて悦んではならず、また受け取らないのもいけない。布施を受けたらこれは自分に供養されたものと思わないで、仏・法・僧の三宝に供養されたものだと思う事が大切。 - 「衣食の事兼ねてより思ひてあてがふ事なかれ」
意味「衣服や食料などの生計についてのことを前々から配慮するようなことがあってはならないという意味。禅僧は雲のように定まった住居もなく、水のように流れ行ってとどまるところのないものであり、袈裟と鉄鉢以外は自己のものとしてもつことなく、ただふたすらに坐禅にはげむべきである」という意味。
『普勧坐禅儀』より
- 「いわゆる坐禅は、習禅にはあらず。唯、これ安楽の法門なり。」
『弁道話』より
- 「修証これ一等なり」
『傘松道詠』より
- 「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さへて冷しかりけり」