道元禅師と真実– category –
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一遍上人の「詩」にみる、当事者と傍観者の世界
皆さんは「一遍上人(いっぺんしょうにん)」をご存知でしょうか? 今回はこの「一遍上人」の「詩」を題材として、世界の真実の有り様について考えていきたいと思います。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修... -
不思量底とは?
道元禅師の『普勧坐禅儀』は、在家の者、出家の者問わず普く人々に「坐禅」とは何か?その坐禅の「意義」と「作法」についておしるしになった「坐禅の奥義書」であります。 その『普勧坐禅儀』の一文で次のようなものがあります。 箇(こ)の不思量底を思... -
「即心即仏」とは何か?
この記事では「即心即仏(そくしんそくぶつ)」とは何かについて解説していきます。 「禅」において大変奥の深いワード、「即心即仏(そくしんそくぶつ)」。 早速、読み進めてみましょう。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。 ... -
「自由」とは何か?について「鈴木大拙」氏の観点で考察する。
本記事では「自由」とは何か?有名仏教学者の「鈴木大拙(すずきだいせつ)」氏の観点を参考に考えていきたいと思います。 それはそれとして、我々は常に自由な命を生きています。これは絶対的な事実です。それがどういうことなのかについてもお伝えしてい... -
「概念化」とは?「概念」の危うさと正しい「概念」との向き合い方についての話。
今回は、少し人間の特性についてお話できればと思います。 その中の「概念」についてお話できればと思います。 我々人間は概念を保有する生き物です。しかしそれは果たしてどういったものなのか?本来の生き方として見たときにこの概念巡りをしている人間... -
教外別伝とは何か?
教外別伝であるところの正法眼蔵(涅槃妙心)、我が朝未だ嘗て聞くことを得ず。 これは道元禅師の有名な言葉ですが、ここにもある「教外別伝」とは一体どういうものでしょうか? 本記事ではそれについて学んでいきたいと思います。 結論から言って、「教外... -
身心一如とは何か?
「身心一如。」とは「心」と「体」、つまり「身」と「心」というのはいつも「一つもの」であるということです。 本記事ではそんな「身心一如」とはどういうことで、一体どのような場面でこの「身心一如」という言葉が使われるのか?について解説していきた...
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