圜悟克勤禅師とは?その出生や碧巌録との関係について

圜悟克勤

圜悟克勤(えんごこくごん)禅師は中国、宋代の僧です。

現在、臨済宗において宗門第一の書として位置づけられる『碧巌録』を記されたことで有名な圜悟克勤禅師。

今回はそんな圜悟克勤禅師について見ていくとともに、道元禅師との関係性についても見ていきたいと思います。

目次

圜悟克勤禅師とは?

圜悟克勤禅師

圜悟克勤禅師(1063年-1135年)は、諡(おくりな)を「仏果禅師」、あるいは「真覚禅師」といいます。

彭州(ほうしゅう)崇寧県(現在の四川省)の出身で、中国臨済宗五祖法演禅師について参禅され、その法をつがれました。

圜悟克勤禅師の行跡

現在『碧巌録』といえば臨済宗において宗門第一の書として位置づけられる「仏教書」です。

これはまず、夾山の「碧巌」において、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)禅師が参学者のために『雪竇和尚百則頌古(せっちょうおしょうひゃくそくじゅこ)』というものを説きました。

この『雪竇和尚百則頌古』とは、『景徳伝燈録』の中から百則の「公案」を集めて「頌」をつけたものですが、この『雪竇和尚百則頌古』に「垂示」、「箸語」、「評唱」いわゆる「批評」を加えたものをこの『碧巌録』といいます。

その『碧巌録』を記されたのが今回の圜悟克勤禅師なんですね。

『碧巌録』は「全十巻」からなり、禅文学としての価値も大きく、古来より「宗門第一の書」といわれ続けてきました。

そのため僧侶の修行の場でもこの『碧巌録』に関する提唱が多くなされてたんですね。

こと臨済宗においては修行僧が自分の境地を深めるための「公案集」として特に重んじております。

圜悟克勤禅師と道元禅師

そんな『碧巌録』を日本に初めてお伝えになられたのが、道元禅師です。

道元禅師は入宋中の天童山で、一夜にしてこの『碧巌録』を書写したと言われております。

これを『一夜碧巌』といい、日本に伝えられたのち、加賀の「大乗寺」で大切に保管されてきました。

道元禅師は圜悟克勤禅師が『碧巌録』の中で言われている、

生や全機現、死や全機現

という言葉を引いて、『正法眼蔵』、「全機の巻」の主題とされております。

また『正法眼蔵』、「春秋の巻」では、

盤珠を走らす、珠盤に走る(盤が珠を走らせ、珠が盤の上を走って自由自在)

という言葉を引き、「盤が珠を走らせる」という表現は空前絶後、素晴らしいと称賛されております。

圜悟克勤

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