「道元禅師」はその生涯の中で、数多くの著作を残されています。
百巻近くに及ぶ「正法眼蔵」は世界的にも有名で、非常に難解な書としても知られております。
「言葉によって表現できない仏法を、言葉によって示そうとした」表現が用いられていて、まさに卓越した書物です。
またその『正法眼蔵』と並び称されるのが『永平広録』です。
この『永平広録』は道元禅師による上堂や法語、頌古、賛語などを弟子たちが編集したものですが、それには第一巻から第十巻までがあります。
『正法眼蔵』が和文で書かれた道元禅師の「教え」の集大成だとしたら、この『永平広録』は漢文であらわされた「説法」の集大成だと言えるでしょう。
その他にも、あまなく人々に坐禅のありかたを示した「普勧坐禅儀」、そして生活の規則を示した「永平清規」などが有名です。
ここでは道元禅師がその生涯で残された主な著作をご紹介します。
1、「正法眼蔵」
「正法眼蔵」とは、そもそも釈尊が体得した心理の内容を表現した言葉です、その中に「悟りの心」、「仏心」、「仏法」とは何かが記されています。
「道元禅師」が記した「正法眼蔵」は寬喜三年(1231年)の「弁道話」から建長五年(1253年)の「八大人覚」に至る2「正法眼蔵」とは、そもそも釈尊が体得した心理の内容を表現した言葉です、その中に「悟りの心」、「仏心」、「仏法」とは何かが記されています。
- 「現成公案」(げんじょうこうあん)
- 「仏性」(ぶっしょう)
- 「洗面」(せんめん)
- 「行持」(ぎょうじ)
- 「坐禅箴」(ざぜんしん)
- 「有時」(うじ)
- 「仏道」(ぶつどう)
- 「発菩提心」(ほつぼだいしん)
- 「四摂法」(ししょうぼう)
- 「八大人覚」(はちだいにんがく)
2、「普勧坐禅儀」
「普勧坐禅儀」は嘉禄三年(1227年)に成立しました。「道元禅師」が中国より帰国し、最初に記された著作です。
仏法の正伝は自らが坐禅を行うことにおいて他ならないという確信に基づき、坐禅の意義、具体的なやり方を記し、あまねく人々にこの坐禅をしていただきたいという思いで書かれた著作です。
3、「弁道話」
寬喜三年(1231年)に成立した和文体の著作です。「普観坐禅儀」に次ぐ著作でもあり、中国で経験したこと、そしてその信念に基づき、仏の正法に従った生き方を「坐禅」を通して示したものです。
仏法の在り方を18の問いに答える形式で具体的に説いております。
4、「正法眼蔵随聞記」
嘉禎元年(1235年)に成立した全6冊からなる和文体の著作です。これは「道元禅師」が直接記したものではなく、「道元禅師」の後を継ぐ「懐奘」が、興聖寺での「道元禅師」の説法や、問答を筆録したものです。
このなかには、「道元禅師」の公式な説法を含む、臨時でおこなわれていたであろう説法までが収録されています。
興聖寺時代の「道元禅師」の仏道に対する姿勢、心得が「懐奘」の視点を通して具体的に記されています。
5、「永平広録」
「永平広録」は全十巻からなる、「道元禅師」の説法や法話を集め、弟子の「詮慧」、「懐奘」、「義演」などによって編集された語録です。
嘉禎二年(1236年)、興聖寺での開堂法話より、永平寺に入り晩年に至るまでの上堂、小参、法語などが年代順に記されています。
6、「学道用心集」
この『学道用心集』ですが、正式には『永平諸祖学道用心集』といいます。またこの『学道用心集』は第1巻からなり、道元禅師が仏教を学び実践しようとする初心者のために、参禅学道の心がまえを10箇条にわたって簡潔に書かれたものです。