禅にまつわる「言葉」のエッセイ。
今回は第5弾といたしまして、「典座(てんぞ)」についてをお送りいたします。
筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。
こんにちは「harusuke」と申します。
2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。
さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。
それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?
ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。
典座とは?
今回は恐れ多くも「典座」についてお送りします。
恐れ多くもといったのは、この「典座」とは禅宗寺院において非常に重要な役職だからです。
というのもこの「典座」というのは禅宗の修行道場において、修行僧、及び雲水の食事をつかさどる役職のことを言うんですね。
つまり食料の調達、調理、給仕まですべてを司る責任者の事をこの「典座」といい、その「典座」が率いる寮舎のことを「典座寮」と呼びます。
また例えば福井県にある「永平寺」では、振鈴(修行僧の起床時間)より2時間早くこの「典座寮」が起きて、「小食(朝食)」の準備を始めます。
普通の修行僧が3時半(冬場は4時半)に起床するのに対し、この「典座寮」はそれよりも短い就寝時間を余儀なくされるのです。
さてこの「典座」ですが、食べるものを扱う訳ですから修行僧の命運を握っているといっても過言ではありません。
なのでどの役職にくらべても高尚な務めとされるゆえ、敬意をはらわれるのです。
一般社会でいえば「食事係」や「飯炊き係」、「お勝手がかり」というと雑務としての位置づけです。
そのために下っ端の人間が行う事が多かったりするわけですが、修行道場においては全くの「逆」です。
大勢の仲間の命をあずかり、縁の下の力持ちを演じなければならないため、修行を長く積んだ修行僧や、古参和尚さんでしか務まらないような仕事なのです。
なのでこの「典座」とは禅の修行道場において重大な役職係とされているんですね。
典座の心得え
また「典座」が扱う食材は、どれも尊い「仏様の命」です。
仮に「ご飯粒一粒」であったとしても、大切に扱わなければなりません。
にんじんの皮も無駄にしない。
大根や皮も無駄にしない。
普段は捨ててしまうような「ヘタ」や「種」であっても大切に調理され、大衆にふるまわれます。
それらはすべて「仏様の命」だからです。
無駄なものなど本来一つもないのです。
また食材だけではありません。
道元禅師は『典座教訓』の中で、「什器に関してはきちんと整理整頓するように」と書き記しております。
なので「調理場」や「洗い場」、食材を盛り付ける「什器」も食材と同様に大切に扱わなければならず、そのため大切に保管されております。
そうした食材や調理場に細心の注意と敬意がはらわれるため、「典座寮」は常に厳粛な空気に包まれているのです。
道元禅師と典座の出会い
1223年、道元禅師が24歳のころ真の「仏法」をもとめ道元禅師一行は中国へ赴きます。
そしてその中国に到着した折に、「道元禅師」は一人の中国僧と出会うんですね。
その中国僧は中国の「阿育王山」という修行道場のまさに「典座」であり、食材の材料を求めに来ていたところ道元禅師ご一行と出会うんですね。
その際、色々話したい事があった「道元禅師」はこの「典座」を引き留めて接待しようとしました。
しかし「典座」は、「典座」という役職の大切さを説き、帰っていくのでした。
「道元禅師」はこの「典座」から「修行」とは坐禅をしたり、教本を読んだりすることだけでなく、日常生活のあらゆる事が大切な修行であるという事を教えられたのです。
またこれも「道元禅師」が「天童山景徳寺」でご修行をされていたときのお話です。
「道元禅師」はある年老いた「典座」が仏殿の中庭で「海草」を干しているのを見つけました。
その「典座」は手に竹杖を持ち、炎天下のもと、笠もかぶらずに「海草」を干していたんですね。
その姿があまりにも辛そうにみえた、「道元禅師」は「何故その仕事を、仕様人に頼まないのですか?」と尋ねるんです。
するとこの「老典座」は「他人がやったのでは私の修行にはなりません」と返答します。
再度、「道元禅師」が「何故、日中の暑い時間にやるのですか。」と尋ねると、すぐさまこの「老典座」から「今やらないで、いつやる時がありますか。」という返答がかえってきたのです。
「道元禅師」はこの「老典座」から自分でやらなければ自分の修行にならないこと、いつかやろうと思っていたら結局出来る物ではないという事を教わることができたんですね。
道元禅師にこうした尊い気付きを与えてくれたのが、まさに今回の「典座」という役職についていた修行僧だったのです。
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