「道元禅師がお示しになる正しい坐禅作法とは?」普勧坐禅儀に学ぶ⑲

こんにちは、harusukeです。

本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。

今回は、

常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。

という部分を解説していきます。

かなり長い箇所の説明となりますが、 解説する内容自体はさほど難しいものではありませんので楽に読み進めて頂けるかと思います。

それではまず初めに前回の、

のポイントを振り返りたいと思います。

前回のポイント
  • 「仏になろうと思って行う「坐禅」は自我の延長でしかない。
  • 「坐禅」は日常生活の延長ではない

それでは前回のポイントをおさらいしたところで、本記事を読み進めていきたいと思います。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

普勧坐禅儀(訓読文)

尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の腿(もも)を圧(お)すなり。寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。

目次

「坐蒲」とは本来、「蒲団」の意味。

常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず 半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の腿(もも)を圧(お)すなり。寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。

今回はこの部分を解説していきたいと思います。

かなり長い箇所の説明となりますが、 解説する内容自体はさほど難しいものではありません。

なので気楽に参りましょう。

また、今回から「坐禅」における具体的な「作法」について道元禅師が語っていかれます。

それでは参ります。

曹洞禅ナビ様より出典 坐褥(ざにく)と坐蒲(ざふ)

まずは冒頭の、「常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ」という部分から。

日頃、我々が「坐禅」する際というのは坐る所に「坐褥(ざにく)」を敷き、またその上に「坐蒲(ざふ)」を敷きます。

そもそもこのような「道具」を用いる理由として腰を高くし、少し角度を付ける事で体に負担をかけずに長く坐れるようにするというものがあります。

また仏教の大元であるインドや中国では、日本のような「畳」はないので、石の上や板の間、或いは大理石の上で「坐禅」をする場合があります。

非常に硬い上で「坐禅」をする場合があるんです。

しかしそれではとてもじゃないが痛くて「坐禅」ができない。

またあまりにも下が硬いので皮膚が破れてしまう事もあります。

なので必ずこの写真のように「坐褥」を用いるというわけなんです。

また「永平寺」のように大衆200人以上いるような修行道場では、一人一人にとてもこの「坐褥」を用意する事は出来ません。

なので畳の上に直接「坐蒲」を敷いてその上で「坐禅」をしております。

ただ道元禅師もお示しになるように、本来は先ほどのように「坐褥」をしき、その上に「坐蒲」をしくというのが正式な坐禅をする場所となります。

さて我々が普段使うものに「蒲団(ふとん」がありますね。

あの「蒲団」という字は、「団子」の「団」という字を書きますが、この「団」というのは元々「丸い」という意味です。

つまり写真をみても分かるように、あのように丸い「坐蒲(ざふ)」のことを本来蒲団(ふとん)と呼ぶんです。

それを「坐蒲」という風に今では言っておりますが、本来は「蒲団」と呼ぶにふさわしいのです。

従って我々が普段寝る際に使っている寝具は、「蒲団」と言うべきではないのかもしれませんね。

「蒲団」というのは丸くなくてはいけないのですから。

因みにですが、この「坐蒲」の「蒲」という字はあの「ガマ」であります。

当尾(とうの)からの風の便り出典

「ガマ」というのは川辺に一杯生えている「アシ」などと同じ種類のあの「ガマ」ですね。

あの「ガマ」には丸いちくわのような「穂」が付いておりますよね。

その「穂」を取ってきて、昔は「蒲団」の綿の代わりにしていたと言われております。

なので「ガマの団」という字を書いて「蒲団」という風に読むのだそうです。

またこの「坐蒲」というのは、道元禅師に伝えられ、曹洞宗でのみ用いられておりました。

道元禅師のみがこの「坐蒲」を用いた「坐禅」を伝えてきたのです。

なので他宗には元々この「坐蒲」をつかった「坐禅」はなかったんですね。

しかし月日が経つごとに「天台宗」や「真言宗」で、特に阿字観などをやる時にこの「坐蒲」が用いられるようになったのです。

それでも昔からこの「坐蒲」を使っていたのは、「曹洞宗」だけだったとされております。

またこれも因みになんですが、現在使用している「坐蒲」の中身は「ガマの穂」ではなくて、「パンヤ」というものが敷き詰められております。

増田製綿工場公式ページより出典/パンヤ

この「パンヤ」はおもに東南アジアが原料調達地になっており、そこで取れる「木の綿」のようなもののことなんですね。

そしてこの「パンヤ」は、従来の「綿」に比べて「弾力性」が強いのが特徴です。

現在はこの「パンヤ」をこの「坐蒲」の中に入れております。

まぁこれらは余談でした。

「坐蒲」の大きさとは?

またこの「坐蒲」には、大きさにも細かく指定があります。

直径三十四センチ鯨尺で九寸。

これが「坐蒲」の正式な大きさだとされております。

このように定められたのは、「総持寺」という現在の横浜市鶴見区にある大本山をお開きになった「瑩山禅師」です。

その「瑩山禅師」がおしるしになった「坐禅用心記」という書物の中に、このような「坐蒲」の大きさに関する記載があるんですね。

また「大きさ」だけでなく、「縫い代」や、「ヒダの高さ」、「幅」までがそこには詳しく書いてあります。

「坐蒲」の用途とは?

またこの「坐蒲」には、先ほどもお伝えしたようにまず「お尻を高くする事」そして、それによって自分の脊柱を「坐蒲」の中心に置くようにして「背骨をまっすぐ伸ばす」ために使うという目的があります。

その他にも「足を楽にする」という目的もありますが、この「坐蒲」において一番重要な事は、

背骨をまっすぐにする事。

です。

尻を高くして、背骨を真っ直ぐにする。

これが「坐蒲」におけるもっとも重要な役割なんですね。

何故ならそうすることで、長時間坐ることが可能になり、体への負担も和らぐからです。

これが「坐蒲」を用いずに、まっ平の所で「坐禅」をするとなると背骨が直角になってしまって、体中が痛くなってしまいます。

なので「坐蒲」を用いて腰を高くし、少し角度を付ける事で体に負担をかけずに長く坐れるようになるのです。

途中話は様々に脱線しましたが、

常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。

「坐禅」をする場合は「坐褥」を敷き、「坐蒲」を用いる。

これが「坐禅」における正式な「坐処」の在り方です。

続きに参りましょう。

道元禅師の坐禅の組み方は他の宗旨とは異なる

或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。

続いて、この解説に参りたいと思います。

この箇所は読んで字の通りであります。

まず冒頭の或(あるい)は結跏趺坐、の「結跏趺坐」という部分。

そもそも「仏像」の足の組み方と、ここで道元禅師がお示しになっている「結跏趺坐」の足の組み方は逆になっております。

例えば下の画像を見てみると、まず左足をももの上に乗せ、その上から右足をももの上に乗せております。

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中には同じ組み方をしている「仏像」もあるのですが、道元禅師がお示しになる「結跏趺坐」は、

右足をももの上に乗せ、その上から左足をももの上に

乗せております。

要するに「右」と「左」が逆になっているんですね。

この道元禅師がおすすめになる組み方は元々天台智顗(てんだいちぎ)という中国で有名な僧侶の坐法にのっとっていると言われております。

他のご宗旨の「坐禅」の組み方はおおむね「右」と「左」が逆になっており、左足を先にももの上にのせています。

ただ何故、道元禅師だけがこの天台智顗(てんだいちぎ)の坐法にしたがっているのかは正直なところ分かりません。

結跏趺坐か半跏趺坐か、それはどちらでもよい

また、

或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。

とありますね。

これは足に柔軟性がなく、体が硬い人に対し、「結跏趺坐」ではなくとも「半跏趺坐」でもよいという事を言っているのです。

つまり、どちらかでなくてはならないという事ではないわけなんですね。

その際「半跏趺坐」というのは、左の足だけを右のももの上にのせるという方法をとっております。

つまり、「私は半跏しか組めないからだめなんだろうな・・・」というと、決してそんなことはないということなんですね。

「或いは」というのは、どちらでもという事で、道元禅師もまさにそのように言われている訳ですから。

なので決して「坐禅の意義」が半分になるという事ではありません。

ただなるべくであれば、長時間「坐禅」をする際などは、「結跏趺坐」で坐った方が両足で体重を支える分、体が楽になることはあります。

というのも「半跏趺坐」だと、どうしてもバランスに偏りが出てきますので、背骨や股関節が痛くなったりする場合があるからなんですね。

ところで昔は、「永平寺」や「総持寺」などの本山で修行する場合、無理矢理この「結跏趺坐」を組まされたそうです。

紐で足をグルグルに縛られて全員がこの「結跏趺坐」を組まされたようですが、今ではそんなことは決してありません。(笑)

モラハラもいいところですよね。

このように改めて道元禅師の書物を紐解いてみると「結跏趺坐」でなくてはならないなどということは一つも書いてありません。

正しくは「或いは結跏趺坐、或いは半跏趺坐」ということです。

足をしっかりと腿(もも)の上にのせることが大切

続いて、

謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。

の部分。

「結跏趺坐」であっても「半跏趺坐」であっても「坐禅」をする際、そのどちらの組み方であっても「背骨」と「右ひざ」、そして「左ひざ」が丁度「三角形」になるようにして坐ります。

またその際「両膝」もきちんと地面についている事で、「三つの点」で体重を支えられる為、「坐相(ざそう)」が安定します。

この「三つの点で体重を支える」ということが「坐禅」において一番安定した坐り方です。

なので「坐禅」の際は「両膝」をしっかりと地面に付けることが大切です。

そのためにはしっかりと「腿(もも)」の付け根まで足首を持ちあげなければなりません。

そうしなければ「膝」が地面に付かないんですね。

なので道元禅師も、

右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。

というのです。

ただその際、途中で足が疲れれば足を組み替えても差し支えないという事であります。

半跏趺坐の場合、左の足首を右の腿の上に押し込む

その続きに参ります。

半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の腿(もも)を圧(お)すなり。

とあります。

先ほど道元禅師は「坐禅」を組む際、「結跏趺坐」もしくは「半跏趺坐」そのどちらでも構わないとおっしゃっていると解説しました。

ただその「半跏趺坐」で「坐禅」を組む際は、どうしても「両膝」が付かない場合があります。

片足だけをのせるので、特に体が硬い人や初心者の方ですと、「膝」が浮いてしまうんですね。

そうすると「背骨」、「右膝」、「左膝」の三点で体を支えられなくなってしまいます。

そういった場合には、

半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の腿(もも)を圧(お)すなり。

とあるように、この右の足の腿(もも)の上に、左の足首を奥の方に押し込めるように持ってきてくださいというのです。

そうすることによって「半跏趺坐」の場合でも、深く押し込まれることになり「両膝」が地面に付き、「背骨」、「右ひざ」、「左ひざ」が三角形になってきちんと土台が完成するわけです。

坐禅をする際は「衣類」を整えて「帯」もゆるく結ぶ

続いて、

寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。

の部分。

この『普勧坐禅儀』は道元禅師が一般の方にも分かりやすく「坐禅」の在り方を説いたものです。

昔は一般の方というのも「着物」や「衣」を着ておりました。

なので「坐禅」をする際は「着物」や「衣」を中心とした衣類をきちんと整え、「帯」もあまりきつく縛ってはなりませんとお示しになっております。

今であれば、スーツなどのフォーマル服でもいいでしょうし、作務衣などでも構いません。

上下が「Tシャツ」に「スウェット」みたいに、カジュアル過ぎない服装であれば、問題はないということですね。

法界定印の結び方

続いて、

次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。 (りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。

の部分。

ここでは「坐禅」をする際の「手」の在り方が示されております。

これは一般的に「法界定印(ほっかいじょういん)」と呼ばれるものですね。

上にある画像も見てほしいのですが、簡単に説明するとまず「右の掌」を組んでいる足の上に置きます。

そして今度はその「右の掌」の上に「左の掌」をのせます。

「大拇指(だいぼし)」というのは親指の事を言いますが、つづいてその「右の手」と「左の手」の「両方の親指」をくっつけます。

因みに昔は、「両方の親指の間に紙一枚入れられるように隙間を開けて作れ。」という風に言われていたみたいです。

しかし「相拄う(あいさそう)」とここでも言っているように、ぴったりきちんと付けるのが「正」です。

ただその際がっちり付けるのではなくて、「相拄う(あいさそう)」ということですから微かに触れ合うように付けるのが望ましいです。

そうすることで綺麗な「法界定印」が出来上がるということですね。

またその際、この「法界定印」の真ん中にある「円」が丁度握りこぶし一つくらいになるようになることが理想です。

ここで少し思い出してほしいのですが、「仏像」というのは必ず「坐禅」を組んでいますよね?

この「坐禅」の姿を摸建したのが「仏像」であると言われているのです。

しかし「仏像」は、どうしても人々に拝まれる対象になるので、「猫背」になっており少し俯き加減であります。

これは「仏像」の背筋をあまりまっすぐに伸ばすと、下から仰ぎ見た時にですね信仰の対象になりづらいという点が挙げられるからなんです。

仏師によって作り方に違いがあるものの、どの仏像もあまり「背筋」が伸びていないのが特徴的です。

我々を慈悲の眼で見つめて下さる「仏像」を作るためには、どうしても「猫背」で俯き加減になってしまうんですね。

しかし我々の「坐禅」は背筋をグンと伸ばす。

それが正しい「坐禅」であります。

正身端坐し、「大宇宙」を自分一人で支えているようなイメージ。

続いて、

乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ

の部分。

初めの乃(すなわ)ち、正身端坐して、というのは、いまも少し触れましたが「何しろ背筋をグンと伸ばし、正身端坐をしてください」という事です。

その「正身端坐」というのは、左に傾いたり、右に傾いたり、前に躬ったり、後ろに仰いだりしない。

「坐蒲」の真ん中にドンと背骨を置いてですねまっすぐ「背筋」を伸ばす。

そして頭のてっぺんで「坐禅堂」、或いは「大宇宙」を自分一人で支えるようなイメージで坐る、これらをまとめて「正身端坐」といいます。

そしてそのように背筋を伸ばし「坐る」事で、自然と顎も引いてきます。

決して「右」や「左」に傾かず、まっすぐ背筋を伸ばし、「天上」を支えるつもりでグンと顎を引き締めて「坐る」。

これが大切なのです。

杉の木と同じように「一直線」になるようにする

続いて、

耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。

の部分。

先ほどのように、「背筋」をグンと伸ばすと当然のように「耳」と「肩」が一直線になります。

同じように「鼻」と「臍(へそ)」も一直線になります。

お腹が結構出ていると、このお腹の方が先に出ちゃうかもしれませんが、普通であれば「耳」と「肩」、そして「鼻」と「臍」が一直線になります。

例えばこのような坐禅をする姿は、大自然にある「杉の木」と同じであります。

「杉の木」はグンと「背」を伸ばし、一直線になっています。

同じように我々も「杉の木」と同じように「一直線」になるようにして坐る。

大地にしっかりと「根」を下ろした「杉の木」と同じように曲がりくねらない。

そのようにグンと背筋を伸ばし「耳」と「肩」、そして「鼻」と「臍」を真っ直ぐにすることが大切であるというわけです。

口はきちんと結び、目は自然に見開く

続いて、

舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。

の部分。

「坐禅」をする際は「口」は開けたままにせず、きちんと結びます。

「口」を結ぶと「舌」が上顎に自然とくっつきます。

「舌」というのは非常に長い物なので、「口」を結ぶと自然とこの「舌」が口の中の上の所(上顎)にくっつき、きちんと収まるようになっております。

ワンちゃんのように、「口」をあけたまま、「舌」をだらんとはさせません。

「口」を結び、上顎に自然と「舌」が付けられる。

また、脣歯(しんし)相(あい)著け、とありますが、「唇」と「歯」もきちんと付ける。

口を結べば、意識をしなくても「唇」と「歯」もきちんと付くと思いますが、ポカーンとしすぎるとこれがきちんと付かない時がある。

なのでいつもこのように「唇」と「歯」もつくように心掛けて頂きたいという事です。

また、目は須らく常に開くべし。とありますが、「目」はいつも開き、ありのままにしておくことが大切です。

「目」をカァっと見開いて、ギョロリとしたりするのではなく、自然と「目」を見開いて生まれつきの生まれたままの状態にしておくということですね。

そして「目線」は60センチくらい先に落とす。

何を見るでもなく、ただ目を自然に開き、視線を落としておく。

ただそのさい、目をつむってしまってもいけません。

自然と「目」を見開くということが肝心です。

我々の体に優しい「坐禅」

さて、ここまでで道元禅師がおすすめになる「坐禅の正しい坐り方」について解説をしてきました。

このような「坐禅」の姿が、我々の「体」が一番安らぐ、優しい「坐禅」の仕方であります。

これを仮に自分が考えた「手法」で、「坐禅」を行ったとします。

そして自分にあった最良の「坐法」が見つかったとします。

しかしそれは一時的には良いかもしれないですが、一週間も二週間もやったら体に歪みが生じ、苦痛が生まれてきます。

一番人間の体に優しいのは「自然のリズム」に従うことです。

今解説してきた通り、道元禅師のお示しになる「坐禅作法」は全て人間の体のメカニズムにのっとり、「大自然のリズム」に従った「坐禅」のやり方です。

また「行住坐臥」のうちの「臥」にあたる、「寝る」部分。

この「寝る」という行いが一番楽だと思われるでしょうが、一か月も一年も入院していたらこんなつらい事はありません。

「行住坐臥」の中で一番楽なのは「坐」、つまりこの「坐禅」です。

「坐禅」が一番楽な姿勢であるということです。

ずっと寝っぱなしってであればこんな辛い事は無い。

またずっと立ちっぱなしであればもっと辛い。

一番人間の体のリズムに合った生活習慣がこの「坐禅」であります。

道元禅師がお示しになる「坐禅作法」-まとめ-

これまで道元禅師のおすすめになる「坐禅作法」を見てきました。

道元禅師は「坐禅」において「足の組み方」や「背筋」の伸ばし方、「手の在り方」どれひとつとっても、実に丁寧にお示しになっておられるのが、今回の記事を通してお分かりいただけたかと思います。

また「坐禅」を行う際に用いる「坐蒲」や「坐褥」に関しても「大きさ」や「用途」に至るまで細かくご指摘されております。

「行住坐臥」における人間の生活態度において、一番人間の体に優しく、安楽な状態とされる「坐」。

そして生命の実物の「行」である、この「坐禅」。

いかにすれば「人間」は大自然と同じような生き方ができるのか?

この章を通じて道元禅師のお目指しになる「仏道」の在り方を垣間見ることができました。

今回の解説はかなり長い箇所を扱いましたのできちんとその内容を確認しておきましょう。

本記事のポイント
  • 「坐蒲」や「坐褥」を用いる理由は腰を高くし、安定して長時間坐る為。
  • 「結跏趺坐」、「半跏趺坐」、そのどちらであっても構わない。
  • そのどちらであっても「足首」をしっかりと深くまで押し込む。
  • 「背骨」、「右ひざ」、「左ひざ」の三点でしっかり体重を支える。
  • 「坐禅」をする際は「衣類」をきちんと整え、「帯」はきつくしすぎない。
  • 「手」をきちんと組み、お椀型の「法界定印」を作る。
  • 右や左に傾いたりせず、しっかり正身端坐する。
  • 背筋を伸ばし、「耳」と「肩」、「鼻」と「臍」をまっすぐにする。
  • 口をきちんと結び、歯と唇も付け、目は自然に開く。
  • 「行住坐臥」で「坐」にあたる「坐禅」が人間の体に一番優しい状態。

今回の内容は「坐禅」において道元禅師が具体的に「作法」を述べられた非常に大切な部分です。

しっかりと本内容を踏まえて頂ければと思います。

以上お読みいただきありがとうございました。

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