雲居道膺(うんごどうよう)禅師は、中国曹洞宗の祖、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の法をついだ中国唐時代の禅僧です。
今回はこの雲居道膺禅師がどういった方だったのか?についてご説明したいと思います。
こんにちは「harusuke」と申します。
2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。
さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。
それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?
ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。
雲居道膺(うんごどうよう)禅師とは?
雲居道膺(うんごどうよう)禅師、またのおくり名を「弘覚大師」といいます。
この雲居道膺禅師は、中国曹洞宗の祖、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の法をついだ中国唐時代の禅僧です。
正確な生まれ年は分かっておりませんが、902年にお亡くなりになられるまで、仏道に励まれた偉大な祖師です。
それを証明するかのように、この雲居道膺禅師の元からは数多くの弟子が生まれ育ち、その後偉大な祖師となられていくのです。
その弟子の数はなんと1500人はくだらなかったと言います。
雲居道膺禅師は、直隷省北部の「玉田」という場所の生まれで、師匠である洞山良价禅師の下で悟りをひらいたと言われております。
そしてその後は「雲居山」と呼ばれる場所に住んで、禅を広められました。
中国江西省永修県西南に位置する険しい山のことです。頂上にいつも雲があるので「雲居」と言われるようです。
先述した通り、この雲居道膺禅師の元からは優れた弟子たちが非常に沢山生まれました。
中でも「同安道丕(どうあんどうひ)禅師」や、「雲居道簡(うんごどうかん)禅師」が有名でよく知られるところです。
この雲居道膺禅師の功績は偉大で、今日まで伝わる「仏法」の礎を築かれた人物です。
雲居道膺禅師から十一伝して道元禅師に伝わることとなります。
雲居道膺(うんごどうよう)禅師にまつわるエピソード
そんな雲居道膺禅師に関して、ここに一つ面白いエピソードがあります。
これは雲居道膺禅師、修行時代のお話です。
ある日道膺禅師は、お師匠さまである洞山禅師の道場の裏山にある「三峰山」という場所で坐禅をされておりました。
ところが何日たっても、洞山へ下りて来なくなってしまったというのです。
食事もとりにこなかったんですね。
そこでお師匠さまの洞山禅師が、いったいどのような修行しているのか、もしや自分勝手な修行しているのではないかと心配になり、道膺禅師を訪ねて行くのでした。
そしてお師匠である洞山禅師が「子(ナンジ)、近日、何ぞ斎に赴かざる」と言われるんですね。
つまり「お前は最近、皆なと一緒に食事をしていないようだがどうしたのだ。禅門では食平等と言って、修行僧は皆なと一緒に食事をするのが決まりだぞ」と言われるわけです。
すると道膺禅師は「実は私の為に天神さまが、毎日ワザワザ食事のご供養してくれるので、私はそれを頂戴して坐禅を致しております」というようなことを自慢気に答えるのでした。
そこで洞山禅師は「我れ将(マサ)に謂(オモ)えり、汝は是れ箇の人と、猶お這箇(シャコ)の見解(ケンゲ)を作(ナ)す在り。汝、晩間(バンカン)に来たれ」と言われます。
つまり、「私はお前こそ仏法相続の立派な後継者になれる人物だと思っていたのに、私の全くの見込み違いであったようだ。夕方になったら私を尋ねて来なさい。」と命じるのでした。
そして夕方になって道膺禅師が洞山禅師のもとを訪ねて行くと、いきなり洞山禅師に「膺庵主(ヨウアンジュ)」と言われます。
つまり「道膺さん!」と呼ばれる訳ですね。
師匠に呼ばれたとあって、道膺禅師は疑いようもなく素直に「ハイ!」と返事をしてしまうのでした。
どういうことか?
つまりそこには「無条件の命のやりとり」が現成していたんですね。
本来の「命の正体」が現成していたんです。
つまり師匠の洞山禅師から言わせれば、それまで道膺禅師は「自我意識」の延長で修行を行われていたというんですね。
そしてそのように時代や、地域、国によって変化して仕舞う相対的な概念を実体視して、目的とする事は仏道「修行」ではなく、暮らし向きを学ぶ「修業」でしかないというのです。
本来我々の身に起こっていることや、この世界に存在しているものというのはそのような「人間の目的」や概念などが入りこむ余地がないのです。
真実と「人間の思惑」は一切関係ないんですね。
全てが人間でいう所の「無条件」で行われているのです。
なので「おい!」と言われ無条件に返事をしてしまった。
その事実こそ「本当の命の在り方」だと言うのです。
そのことに気付いた道膺禅師は「三峰庵」に帰り、いつものように寂然として坐禅をされます。
そして天神さまが、再びお食事を差し上げようと、この道膺禅師を探すのですが、三日経っても道膺禅師を探す事が出来なかったというのです。
こうした面白いエピソードがこの道膺禅師には残されているんですね。
以上、お読みいただきありがとうございました。
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