米一粒の「扱い」、本当の「道理」について考える

まずはこちらの一文をお読みください。

昔は「ご飯一粒でも粗末にすると目が潰れるぞ」と言いました。今は、そんなふうにいうと「何だ目なんか潰れていないじゃないか、そんなのウソだ」と反抗して、子供の方が文句を言うそうですよ。私はお年寄りに言うんです。「負けちゃいけません、言うてやんなさい」と。そういうことの道理のわからん者はもう目が潰れているんです。そんなブドウ玉のような目が明いていたって、本当のものが見えなければそんな目は役に立ちません。

引用:楢崎一光老師「禅のこころ」より

子供に対してと考えると、少し手厳しすぎるように思われますし、「道理」や、「本当のもの」といった大人でもゾッとするような核心めいた記述が出てまいりました。

さすが、永平寺で後堂をお務めになられた方のお言葉には迫力があります。

でも子供のうちからしっかりと、この「物の道理」について触れることはとても大切なことのはずです。

現代においては効率化が第一です。会社の利益、個人の利益。これ以外の目的はなく、そのためならどんな犠牲でも払います。

人だって平気で殺めるし、お年寄りを監禁し、強盗し、平気で自宅に押し入り、そこで大切に保管してきた何千万もの財産を盗み取ります。嘘もつきます。

あるいは神仏の存在や、その効力に関してといったことも、昔と違ってほとんど聞かれなくなりました。

人間の生き方が変わってしまったように感じます。

このような時代にあって、我々は大切なことを見失おうとしております。あるいはもう失っているのかもしれません。

それがここでいう「本当のもの」や「本当の道理」ということです。

目次

米一粒の価値

「ご飯一粒でも粗末にすると目が潰れるぞ」昔の人はこのようなことを盛んに言い、実際に大切にされておりました。

今と違ってみんな生活に苦しんでいた時代ということもあったはずです。

自然と芽生えた教訓でもあったのでしょう。

しかしそれは実際に米一粒すらも無駄にしない生活。一つひとつの物の尊さのわかる生活です。

あるいはそれはいつどこでも、どんな質素な生活でも豊かに生きられる。どんな場所でも幸せに感じられる「智慧」だったわけです。

現代人の中でどれだけこのような生き方ができる人がいるでしょうか。この「智慧」を備えている人がいるでしょうか。

確かに生活の豊かさは我々人間にとっての一つの人生の目的です。そのために邁進したり、現実的に物事を考えることも、あるいは物事を効率化していくことも大切なことなのでしょう。

しかしそこだけを見ていては必ずや、行き詰まります。

つまりそのような生き方は道理に基づいてはいないのです。

なぜなら物の尊さを知ること、米一粒の尊さを知ることが本当の豊かさだからです。

そこに行き着くための人生だからです。

それに気づけることが我々の本当の豊かさだということです。そしてそのための道が「真なる道理」だということです。

効率化ばかりを求めること、目に見えるものばかりを追い求めること。あるいは数字や結果ばかりを追い求めること。

そのような生き方ではそれはますます見えなくなるばかりだということです。それはゴールテープのないマラソン大会を走っているような物です。道なき道を走っているようなもので、まさに道理に反しているわけです。

ご飯1粒に込められた尊さを信じられない、あるいはその尊さが見えないのはまさにそうだということです。

世間で道理というのはいつも大切にされます。道理が最も大切だというのはまさにその通りです。

しかし我々が今道理だと思っているのは本当の道理ではないということですね。

今回の「ご飯一粒でも粗末にすると目が潰れるぞ」という話。まるで信じられないですが、これがつまりその道理だということなんです。

そのことに気付けないのは、あるいはこのことが信じられないのは、我々に本当の「目」がないからだということなんです。

昔の人はそういう目をお持ちになっていた。本当の「目」を持っていたのです。

今後ますます我々人間は頭でっかちになっていきます。今回の話とは、ますます縁遠い存在になっていってしまうかもしれません。

確かに科学が進歩していけば、病気にはならないかもしれない。そこでは寿命も長くなったり、日々楽しいコンテンツに溢れていくようになるかもしれません。とても頼りになる話です。

しかしそのような生き方で果たして我々は本当の豊かさに行き着くでしょうか?

本当の豊かさ、本当の道理。

それを追い求め、重んじている我々ですが、例えばなぜ腹がへるか?それは腹がへるから減るんです。これが道理なのです。

薬そのものではなく、薬の「効能書き」

そこで、こちらの一文も読んでみてください。

お腹が減るのは体内のエネルギー源である血糖値が低下するためである。血糖値が下がると、脳の満腹中枢が刺激されなくなり、摂食中枢が活発になることで空腹を感じるのである。また、胃が空になり、胃壁の筋肉が収縮して空洞ができることや、消化液や酵素が分泌されることによっても空腹感が生じる。

このようなことを我々は頭脳や科学、文明を駆使して知ることができました。そしてこのようなことを追い求めてきたわけです。とても素晴らしいことです。

しかしこのようなことが本当に大切でしょうか?そしてこれからも追い求めていくのでしょうか?

このようなことを知ったところで、腹が減らなくなるわけではありません。腹が満たされるわけでもありません。

道理どころか、何にもならないことなのです。そのようなことは実際の世界には何も関係していない。

薬に例えて言えば、これは単なる「効能書き」であって「薬そのもの」ではないということです。

しかし我々はそれに気づかず、このようなことが本質であり、道理だと思っているということです。

これは残念ながら単なる理屈です。人間が後からつけた薬の「効能書き」に過ぎません。

理屈で腹が減るわけではありません。理屈の力で、あるいは頭の力で我々は生きているわけではないのです。

そこでは本当の道理によって生かされている。あるいは米一粒に仏がいるという道理に生かされているのです。米一粒に仏がいるということは決まっていることなんです。

そこになぜ?といった詮索はいらないし、通用しません。それは人間の理屈であり、人間の理屈というのは実際の世界に関係していないからです。それは単なる物事に対する説明であって、薬の効能書きだからです。

しかしこのようなことをこれからの時代、果たして一人ひとりに意識づけることができるでしょうか。

残念ながらとても難しいことだと思います。

我々が豊かさに行き着くために必要なのは、技量でも、お金でも、効率化でもありません。

物事の「道理」です。

冒頭の一文にとても大切なことを教わった気がします。

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