永平清規とは?

永平清規とは

道元禅師がしるした著物シリーズ。

今回は記念すべき第①弾として『永平清規』についてお伝えします。

この『永平清規』がどのような書物だったのか?是非ここで理解を深めてみてください。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

永平清規とは?

永平清規とは

『永平清規(えいへいしんぎ)』は道元禅師がしるした著物で、道元禅師が教団の規則や決まりを説いたものとなります。

この『永平清規』は『典座教訓(てんぞきょうくん)』、『弁道法(べんどうほう)』、『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』、『衆寮箴規(しゅりょうしんぎ)』、『対大己法(たいたいこのほう)』、『知事清規(ちじしんぎ)』の六篇からなっておりますが、『典座教訓』、『弁道法』、『赴粥飯法』、『衆寮箴規』、『対大己法』、『知事清規』のどれもが非常に重要な内容を伝えており、大切な役割を担っていることから、それぞれが独立した状態で伝えられてきました。

永平清規の成り立ち

今述べた六篇の内『典座教訓』は嘉禎3年(1237年)、山城の「興聖寺」にて道元禅師が38歳の頃にしるされたものです。

『対大己法』は、寛元2年(1244年)、越前の「吉峰寺」にて道元禅師が45歳の頃にしるされたものです。

また『弁道法』は寛元3年(1245年)越前の「大仏寺」にて。『赴粥飯法』は寛元4年(1246年)永平寺にて。『知事清規』は寛元4年(1246年)永平寺にて。『衆寮箴規』は宝治3年(1249年)永平寺にて、道元禅師が50歳の頃にしるされたものになります。

したがって『永平清規』は嘉禎3年から宝治3年まで、12年間にも及ぶ歳月を経て成立しており、それぞれが独立して伝えられてきました。

それでは以下で『典座教訓(てんぞきょうくん)』、『弁道法(べんどうほう)』、『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』、『衆寮箴規(しゅりょうしんぎ)』、『対大己法(たいたいこのほう)』、『知事清規(ちじしんぎ)』それぞれがどのような内容なのかについて簡単に見ていきたいと思います。

典座教訓

『典座教訓』は、六知事と呼ばれ禅僧堂の重要な役割を担う「典座」についてのべられたもので、その「典座」における教訓をしるしたものです。

「典座」は禅僧堂において修行僧の食事を司る非常に重要な責務をあたえられた役職のことをいいますが、この「典座」というのは兼ねてから偉大な禅僧のみが就くことのできる役職でした。

この『典座教訓』」では、その「典座」が食事を用意する場合にも、そのすべてが修行であることを念頭において、すこしでも怠けることがないように強く戒められております。

弁道法

『弁道法』の「弁道」とは「成弁道業(じょうべんどうごう)」ということですが、これはつまり「修行」の意味です。

道元禅師が説く「修行」とは「坐禅」のことですが、この『弁道法』では僧堂における「坐禅」についての威儀や作法について解説しており、『永平清規』のなかで最も重要な一篇であると言えるでしょう。

この『弁道法』ではまず「修行」とは何か?を説き、「黄昏の坐禅」や「後夜の坐禅」、「早晨の坐禅」、「哺時の坐禅」など一日における「4つの種類」の坐禅において修行僧が行うべき作法について細かく述べられております。

赴粥飯法

『赴粥飯法』は「僧堂」における食事の作法について述べられているものです。

まず「食事」とは何か?その意義について説かれ、「粥時(朝食」、「中食(昼食)」、「薬石(夜食)」の時の修行僧がとるべき作法について述べられております。

その中では、食事を頂く場所の「入堂」の進退などについても細かく述べられております。

衆寮箴規

『衆寮箴規』は正式には「吉祥山永平寺衆寮箴規」と呼ばれます。

「衆寮」とは僧堂を支える根本的な細かい作業を担う修行僧が集まる場所で、また修行僧が坐禅の余暇などに経典や祖録などを学ぶ場所でもあります。

そんな衆寮における修行僧の作法や、行持について詳しくのべられたのがこの衆寮箴規です。

対大己法

『対大己法』とは、僧堂における修行僧が古参和尚に対して行う敬礼や作法について述べられたものです。

禅僧堂ではとにかく新参和尚は古参和尚に敬わなければなりません。

今でも永平寺などでは古参和尚とすれ違う際は、古参和尚が通りすぎるまで「合掌低頭」をして迎えなければならないのですが、そのようなことは古くから大切にされてきた「しきたり」なんですね。

知事清規

そして最後の『知事清規』ですが、禅僧堂には「都寺」、「監寺」、「副寺」、「維那」、「典座」、「直歳」と呼ばれる「六知事」がおります。

この『知事清規』はその「六知事」についての規定です。

またこの『知事清規』ではその「六知事」につぐ、「首座」、「書記」、「知浴」、「知蔵」、「知殿」、「知客」の「六頭首」についての規定でもあり、要するに「大衆(一般の修行僧)」の上に立つ、特に立派な修行僧が守るべき規定なのです。

この『知事清規』ですが、『永平清規』の中でも特に「分量」が多い篇でもあります。

「僧堂の規律を守る為には役職の高い修行僧が、まずしっかりしなければならない」そういった道元禅師の思いが伝わるかのようです。

永平清規とは?まとめ

以上簡単ですが「永平清規とは何か?」について、その意義や成り立ちについて解説いたしました。

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