圜悟克勤禅師とは?その出生や碧巌録との関係について

圜悟克勤

圜悟克勤(えんごこくごん)禅師は中国、宋代の僧です。

現在、臨済宗において宗門第一の書として位置づけられる『碧巌録』を記されたことで有名な圜悟克勤禅師。

今回はそんな圜悟克勤禅師について見ていくとともに、道元禅師との関係性についても見ていきたいと思います。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

圜悟克勤禅師とは?

圜悟克勤禅師

圜悟克勤禅師(1063年-1135年)は、諡(おくりな)を「仏果禅師」、あるいは「真覚禅師」といいます。

彭州(ほうしゅう)崇寧県(現在の四川省)のご出身で、中国臨済宗五祖法演について参禅され、その法をつがれました。

圜悟克勤禅師の行跡

現在『碧巌録』といえば臨済宗において宗門第一の書として位置づけられる「仏教書」です。

そもそも夾山の「碧巌」において、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)禅師が参学者のために『雪竇和尚百則頌古(せっちょうおしょうひゃくそくじゅこ)』というものを説かれました。

この『雪竇和尚百則頌古』とは、『景徳伝燈録』の中から百則の「公案」を集めて「頌」をつけたものですが、この『雪竇和尚百則頌古』に「垂示」、「箸語」、「評唱」いわゆる「批評」を加えたものをこの『碧巌録』といいます。

そしてその『碧巌録』を記されたのが今回の圜悟克勤禅師なんですね。

この『碧巌録』は「全十巻」からなり、最大の宗教書であると同時に禅文学としての価値も大きく、古来より「宗門第一の書」といわれ続けてきました。

そのため公の場でもこの『碧巌録』に関する提唱が多くなされてたんですね。

こと臨済宗においては修行僧が自分の境地を深めるための「公案集」として特に重んじられております。

古来よりこの『碧巌録』は中国において絶大な影響力を誇っていたということですね。

圜悟克勤禅師と道元禅師

そんな『碧巌録』を日本に初めてお伝えになられたのが、道元禅師です。

道元禅師は入宋中の天童山で、一夜にしてこの『碧巌録』を書写したと言われております。

これを『一夜碧巌』といい、日本に伝えられたのち、加賀の「大乗寺」で大切に保管されてきました。

道元禅師は圜悟克勤禅師が『碧巌録』の中で言われている、

生や全機現、死や全機現

という言葉を引いて、『正法眼蔵』、「全機の巻」の主題とされております。

また『正法眼蔵』、「春秋の巻」では、

盤珠を走らす、珠盤に走る(盤が珠を走らせ、珠が盤の上を走って自由自在)

という言葉を引き、「盤が珠を走らせる」という表現は空前絶後、素晴らしいと称賛されております。

圜悟克勤

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