道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。
今回は第⑦弾といたしまして、「愛語(あいご)」についてをお送りいたします。
筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。
こんにちは「harusuke」と申します。
2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。
さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。
それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?
ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。
愛語とは?
そもそも「愛語」とはなんでしょうか?
最近では新聞やテレビ、スマートフォンニュースでもよく聞かれるようになりましたね。
「愛語」とは簡単にいえば「やさしいことばを他者に語りかけること」をいいます。
そもそも、「菩薩」が我々衆生を導くために設けた四つの方法として「四摂事(ししょうじ」というものがあります。
この「愛語」はその「四摂事(ししょうじ」のうちの一つに数えられるものなんですね。
しかしそれは「菩薩」だけではなく、我々一般人であっても使えるはずなんですね。
何故なら我々は相手を敬う事ができ、相手の気持ちを理解することができるからです。
道元禅師も『正法眼蔵』、『菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)』の巻で次のような言葉をもってこの「愛語」について触れておられます。
むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、たゞ能を賞するのみにあらず。
どういうことでしょうか?
恐れながら少しだけ解説してみたいとおもいます。
自分の素直な気持ちに寄り添えば、そこには慈悲の心があることが分かる。そして誰しもがその慈悲の心からなる愛語で他人に語りかければ、相手は嬉しい気持ちになるだけでなく親愛なる思いで自分に接してくれるようになる。そのようにしていけば仮に敵対しあっていた人物とも仲良くしていける。そのような愛語のもつ力を我々は学ぶべきである。
このようなところでしょうか。
前述したようにこの「愛語」は、誰しもが行える「四摂事(ししょうじ」の一つです。
いまこの瞬間からでも、この「愛語」をもってすれば自分だけでなく他人も幸せな気持ちにさせることができるのです。
曹洞宗でよく聞かれる「和顔愛語」とは?
今述べた「愛語」の他に、「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉があります。
よく曹洞宗などで、お寺の住職が説法をする際に使う言葉ですね。
この「和顔愛語」に使われる「和顔」はやわらかな顔と書きます。
そして「愛語」は先ほども言った通り「相手を思ったやさしい言葉」ですね。
つまり「和顔愛語」とは文字通り、笑顔で愛情のこもった言葉で語りかけることをと言うのです。
またこの「和顔愛語」ですが、もともと『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というお経の中に出てくる言葉ですが、そこには「和顔愛語にして、意を先にして承問す」とあります。
つまり、「相手のこころをなによりもまっさきにくみ取り、愛情のこもった言葉とやわらかな笑顔で接しなさい」という意味になります。
愛語とは、まとめ
この「愛語」は仏教では大変重んじられているものです。
人と人との関わり合いが多い現代、この記事を読んでいるあなたも、ふとした言葉に傷つく事があるでしょう。
そしてあなた自身も他人のことを思いやれずに、厳しいことばや傷つけてしまうようなことばをつかってしまっているかもしれません。
そんなとき、ふとこの「愛語」を思い出してください。
この「愛語」は冒頭でもお伝えした通り、もともとは「菩薩」が我々衆生を導くために使うものだとされています。
しかしそんな素敵な「愛語」は、われわれ一般人であっても使っていけるはずです。
他人との関わり合いが多い現代だからこそ、いまこの「愛語」が求められているのではないでしょうか。
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