一闡提とは

一闡提とは

道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。

今回は第⑯弾といたしまして、「一闡提(いっせんだい)」についてお送りいたします。

筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

一闡提とは?

一闡提とは

「一闡提(いっせんだい)」とは、仏教の正しい教えを信じず、さとりを求める心もなく、仏となる素質を欠く者のことをいいます。

サンスクリット語の「icchantika(イッチャンティカ)」の音訳になり、「断善根(善行を断じた者)」、「信不具足(信をもたない者)」などとも呼ばれます。

さらにそこから「有性闡提(自身で成仏することは難しいが、仏の力によって最後に成仏できる者)」と、「大悲闡提(衆生を救済するために自分の意思によってあえて成仏しない者)」といった形に分かれます。

まぁ今回は少し難しいですね。

筆者すらいまいちわかりませんし、このシリーズ自体、難解なことをより深く参究していこうというものでもありません。

それでもここで内容を取り上げた以上は、自分の現在もてる知識と語彙力でなんとかあなたにもご理解いただけるように解説してみたいとおもいます。

要するにこの「一闡提」とは、「どのような人間が成仏できないのか?」を考えるものなんですよね。

一言に「成仏できない」といっても「大悲闡提」のような意味合いもありますから難しいんですよね。

例えば曹洞宗の研究者が、「たとひ、ほとけになるべき功徳熟して円満すべし、といふとも、なほめぐらして、衆生の成仏得道に回向するなり」という道元禅師のお言葉に対し、「これは全ての衆生の救済のために精進し、自らは成仏しない大悲闡提の思想である」という風に解説しております。

「一闡提」とは、「仏教の正しい教えを信じず、さとりを求める心もなく、仏となる素質を欠く者のこと」をいいますが、ここでの道元禅師のように、「衆生を救済するために自分の意思によってあえて成仏しない者」も含まれる為、一概にネガティブなワードともいいきれないということなんです。

まぁこれに関しては第三者が道元禅師のお考えを勝手に「大悲闡提の思想であると言っているだけでもあるのですが・・・。

またここに天台教学における一闡提の扱いについてというものがありますが、この「一闡提」がいかに重要な思想であることかに関して議論が交わされています。

そもそも「どのような人間が成仏できるか?できないか?」という議論は昔からもよくされていたはずです。

例えばお寺の住職が迷える衆生に対し、「仏教の正しい教えを信じないのなら成仏などできないぞ!」と諭す際に「一闡提」という「言葉」が使われたのかもしれません。

またそんなお寺の住職にあっては「私はこの世の衆生全員を救わなければ成仏できないのではないか?」というある種の不安を抱くこともあったでしょうから、そこからこの「大悲闡提」という「言葉」が生まれたのかもしれません。

このように仮に悪い行いばかりをしている人間であっても、人々のために尽くしている人間であっても、どのような立場の人間であっても、「俺は果たして本当に成仏できるのか?」という疑問を誰しもが抱える訳ですから、「一闡提」という思想がひとつの「キーワード」になっていたのではないかと思います。

一闡提の輩

しかし我々人間は本当に成仏できるかできないか?はさておき、我々誰しもがみな生まれながらに仏性を備えている(一切衆生悉有仏性)ので、成仏できる可能性があるのは間違いない事実です。

しかしいくら「人はみな成仏できる素質があるから安心して生活していきなさい」といっても、ただ好き勝手に生きていて良い訳がありませんね。

我々人間が仏なのは、「仏性」を備えているから「仏」であるわけで、その「仏の種」を咲かさなければいけないからです。

当然努力をしなければならない。

なので人は生まれながらにみな仏であるから安心して生活していけるのと同時に、成仏の素質はあったとしても努力しなければ成仏できない。名聞利養を欲求してばかりの者は気を付けなければならないと戒めていく必要があるわけですね。

そのように迷える自分や他人に対し、安心させる思いと戒めの思いを与えるために今回の「一闡提」という言葉が各所で用いられてきたのではないかと推察します。

例えば『大乗理趣六波羅蜜多経』の中に、「一闡提の輩は、永く断滅せむ」という表現がでてきますが、まさにそういうことですね。

まぁ今回の「一闡提」という内容は非常に高尚な「仏教思想」であり、わたしのような人間ではとても太刀打ちできない内容です。

これ以上話を続けると私の浅はかさ加減を露呈してしまうことになりますので、今回はこの辺にしておきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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