道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。
今回は第⑲弾といたしまして、「優曇華(うどんげ)」についてお送りいたします。
筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。

優曇華とは?

今回は「優曇華」についてです。
これに関しては「憂曇華」とも言われます。
今回は前者の「優曇華」としてお伝えしていきます。
みなさんも一度は耳にしたことがあるかと思うこの「優曇華」という言葉。
当時お釈迦様がお弟子さんたちの前で「お花」を拈じられ、「微笑」された「拈華微笑」というお話はあまりにも有名なお話です。
その際、用いられたお花がこの「優曇華」だとされているんですね。
そしてそのやりとりのなかで、
我に正法眼蔵涅槃妙心あり。今摩訶迦葉に付属す。
という有名なお言葉をお釈迦様はのこされたわけですが、これは「仏法の正体を今、弟子に引き継いだぞ」という意味になります。
これは仏教史上有数の重要な局面として数えられますが、その際に用いられたお花がこの「優曇華」なのです。
優曇華とはどういうお花?
またこの「優曇華」は、滅多に咲くことがない「伝説の花」だと言われているのをご存知でしょうか?

そもそも「優曇華」とは「クワ科」で、イチジクの一種だとされております。
正式名称は「優曇波羅華」で「優曇華」はその略ですね。
インドが原産で、いまはヒマラヤ、インド、セイロン島などに分布しております。
日本では見ることのできない貴重なお花となっております。
ちなみに「日本」ではこの「優曇華」に見た目が近しい植物として「アイラトビカズラ」というものがありまして、この「アイラトビカズラ」を「優曇華」と呼ぶ風習があるようです。
その「アイラトビカズラ」は、熊本県や長崎県に生息しております。
また上の写真をご覧いただいても分かる通り、葉の長さも非常に長いことが特徴なんです。
大体10cm前後とされておりますが、長い物だと20cmほどにもなるようです。
また写真を見てわかる通り、まっしろい「花托」に包まれ、外からはその中身を見ることができません。
「楕円形」をしているのも特徴です。
またこの花の「果実」は食用としても用いられており、現地では実際に食べられたりもしているようです。
「葉の部分」は家畜の飼料としても用いられます。
また調べたところ、「クサカゲロウ」という昆虫がおりますが、その「クサカゲロウの卵」をこの「優曇華」と呼ぶ風習もあるようです。
「クサカゲロウの卵」は確かに白く、「優曇華」と似ています。
現地では吉兆や凶兆の前触れとして伝えてきたようです。
ちなみにこの「優曇華」には「滅多にない」という花言葉があるようです。
優曇華は滅多に咲かない伝説の花
先ほども述べたようにこの「優曇華」の花は外から見ることができません。
現地の人からは「人間が滅多に見ることができない花」というイメージを持たれているんですね。
そのようなことからこの「優曇華」は実際の花のことだけでなく、「稀有なこと」という意味で使ったり、仏教や経典ではこの「優曇華」の花を三千年に一度咲く「伝説的なもの」として使われたりするのです。
この「優曇華」の花が咲くときは、「転輪聖王(てんりんじょうおう)」が現れるとも言われているんですよ。
「伝説上の植物」と言われるのはそういうことだったんですね。
優曇華と法華経
「優曇華」と仏教の関連深さは周知の通りですが、例えば『法華経』には、
という一文がでてきます。
意味としましては、
仏の教えにめぐりあうことは、大海に住むと言われる百年に一度海面に頭を出す一眼の亀が、風に流されてきた一つの浮き木の孔の中にたまたま頭をつっこむようなものである
となります。
つまり「仏の教え」に巡り合えることの「ありがたさ」、あるいは「めったにない幸運さ」をこの「優曇華」の花に例えているんです。
すべては優曇華という言葉に集約される
冒頭でもお伝えしたように、当時お釈迦様がお弟子さんたちの前で「お花」を拈じられ、「微笑」された「拈華微笑」というお話はあまりにも有名で、今日の我々の耳にもよく入ります。
そしてその「拈華微笑」の際、お釈迦様によって用いられたお花がこの「優曇華」だとされているんですね。
道元禅師もこの「優曇華」に対して特別な思いを抱かれております。
道元禅師がおしるしになった『正法眼蔵』の第六十四に「優曇華」という名の巻があるのもすでにご存知の通りです。
少しこの「拈華微笑」についても語りましょう。
お釈迦様は、ある時「霊鷲山」でに弟子たちを集めます。
そしてその弟子たちの前でこの「優曇華」をつまみあげ、拈じられるのです。
そんなお釈迦様の行動をみて、他の修行僧があっけにとられるなか、「摩訶迦葉」という弟子だけが微笑まれたというんですね。
お釈迦様の「真意」を知り、「破顔微笑」されたというのです。
そこでお釈迦様は「我に正法眼蔵涅槃妙心あり。今摩訶迦葉に付属す。」という言葉を残され、そのやり取りが今日の我々まで伝わっております。
その真意は凡人である私には到底理解できないところですが、そこに居合わせた摩訶迦葉尊者だけは理解できたというわけです。
そこに「仏の正体」を見出したのですね。
仏法の相続というのはこのようなものだと。このように大変な事態であると。
道元禅師は「優曇華」の巻の中で仏法の相続の尊さ、また偉大さ。そのようなことに触れておられます。
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