優曇華とは?その意味について

優曇華とは

道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。

今回は第⑲弾といたしまして、「優曇華(うどんげ)」についてお送りいたします。

筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

優曇華とは?

優曇華とは

今回は「優曇華」についてです。「優曇華」または「憂曇華」とも言われます。

今回は前者の「優曇華」としてお伝えしていきます。

みなさんも一度は耳にしたことがあるかと思うこの「優曇華」という言葉。

当時お釈迦様がお弟子さんたちの前で「お花」を拈じられ、「微笑」された「拈華微笑」というお話はあまりにも有名なお話です。

その際、用いられたお花がこの「優曇華」だとされているんですね。

そしてそのやりとりのなかで、

我に正法眼蔵涅槃妙心あり。今摩訶迦葉に付属す。

というお言葉をお釈迦様はのこされたわけですが、それが今日の我々にも伝わる「仏法の正体」だとされるのです。

またこの「優曇華」は、滅多に咲くことがない「伝説の花」だと言われているのをご存知でしょうか?

「拈華微笑」に関しては後述するとして、ここではまずこの「優曇華」というお花が実際にはどのようなお花なのか?についてみていきたいと思います。

優曇華とはどういうお花?

出典「1から分かる親鸞聖人と浄土真宗」

「優曇華」とは「クワ科」で、イチジクの一種だとされております。

正式名称は「優曇波羅華」で「優曇華」はその略ですね。

インドが原産で、いまはヒマラヤ、インド、セイロン島などに分布しております。

なので日本では見ることのできない貴重なお花なんですね。

ちなみに「日本」ではこの「優曇華」に見た目が近しい植物として「アイラトビカズラ」というものがありまして、この「アイラトビカズラ」を「優曇華」と呼ぶ風習があるようです。

その「アイラトビカズラ」は、熊本県や長崎県に生息しております。

また上の写真をご覧いただいても分かる通り、葉の長さも非常に長いことが特徴なんです。

大体10cm前後とされておりますが、長い物だと20cmほどにもなるようです。

またこの「優曇華」の花も非常に綺麗ですよね。

写真を見てわかる通り、まっしろい「花托」に包まれ、外からは見ることができません。

「楕円形」をしているのも特徴です。

そしてその花の「果実」は食用としても用いられており、現地では実際に食べられているようです。

「葉の部分」は家畜の飼料としても用いられます。

またこの「優曇華」には一応、「滅多にない」という花言葉があるようです。

優曇華は滅多に咲かない伝説の花

この「優曇華」ですが、調べてみると今述べてきたような「実在の植物を示す場合」と、「伝説上の植物を指す場合」、そして「昆虫の卵を指す場合」との3つの区分として分けられるようです。

この「優曇華」の花は外から見ることができません。

つまり「人間が滅多に見ることができない花」というイメージを持たれているんですね。

そのようなことからこの「優曇華」という言葉を「稀有なこと」という意味で使ったり、仏教や経典ではこの「優曇華」の花を三千年に一度咲く、「伝説の花」であると伝えているんです。

この「優曇華」の花が咲くときは、「転輪聖王(てんりんじょうおう)」が現れるとも言われているんですよ。

「伝説上の植物」と言われるのはそういうことだったんですね。

またこの「優曇華」は「昆虫の卵をさす場合」もあるといいますが、「クサカゲロウ」という昆虫がおります。

その「クサカゲロウの卵」をこの「優曇華」と呼ぶみたいですね。

「クサカゲロウの卵」は確かに白く、「優曇華」と似ています。

なので地域によってはこの「クサカゲロウの卵」のことを「優曇華」と呼んだり、吉兆や凶兆の前触れとして伝えてきたようです。

優曇華と法華経

「優曇華」と仏教の関連深さは周知の通りですが、例えば『法華経』には、

仏に値(あ)いたてまつることを得ることの難きこと、優曇婆羅の華の如く、また、一眼の亀の浮木の孔(あな)に値うが如ければなり

という一文がでてきます。

意味としましては、

仏の教えにめぐりあうことは、大海に住むと言われる百年に一度海面に頭を出す一眼の亀が、風に流されてきた一つの浮き木の孔の中にたまたま頭をつっこむようなものである

となります。

つまり「仏の教え」に巡り合えることの「ありがたさ」、あるいは「めったにない幸運さ」をこの「優曇華」の花に例えているんです。

すべては優曇華という言葉に集約される

冒頭でもお伝えしたように、当時お釈迦様がお弟子さんたちの前で「お花」を拈じられ、「微笑」された「拈華微笑」というお話はあまりにも有名で、今日の我々の耳にもよく入ります。

そしてその「拈華微笑」の際、お釈迦様によって用いられたお花がこの「優曇華」だとされているんですね。

なので道元禅師もこの「優曇華」に対して特別な思いを抱かれております。

道元禅師がおしるしになった『正法眼蔵』の第六十四に「優曇華」という名の巻があるのもすでにご存知の通りです。

お釈迦様は、ある時「霊鷲山」でに弟子たちを集めます。

そしてその弟子たちの前でこの「優曇華」をつまみあげ、拈じられるのです。

そんなお釈迦様の行動をみて、他の修行僧があっけにとられるなか、「摩訶迦葉」という弟子だけが微笑まれたというんですね。

お釈迦様の「真意」を知り、「破顔微笑」されたというのです。

そこでお釈迦様は「我に正法眼蔵涅槃妙心あり。今摩訶迦葉に付属す。」という言葉を残されるわけですが、それが「仏法における真実」として今日の我々まで伝わっております。

生命の実物、真実を追求される道元禅師によれば、このお釈迦様と摩訶迦葉尊者だけでなく、お釈迦様以前の「過去七仏」においても、お釈迦様以降の仏祖方においてもすべてこの「拈華」によって仏道は正伝されてきたのだといいます。

つまり「優曇華を拈ずる」という行為には「仏の正体」のみならず「自己の正体」や、「教化の在り方」、「理想」も「すべて」含まれるというのです。

そのようなことをこの『正法眼蔵』、「優曇華の巻」でおっしゃられているんですね。

「優曇華」とはつまりそういうことなので、普段から「非常に尊い」という言葉の意味として使って行けたらと思います。

以上、お読みいただきありがとうございました。

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