暑い日が続きますが、皆様体調はいかがでしょうか?
さて、人生や人生の選択に迷ったら、それは道元禅師だったら行うか、鹿やキリン、お猿さんだったら行うか、というのを自答してみるといいと思います。
人生はもちろん、人との兼ね合いの世界です。人との兼ね合いの生き方、これが今の我々の生き方です。
しかし「生き方」というのはそれだけではありません。
例えば何も人との兼ね合いなどなくても、今こうして呼吸をしている、お腹を空かせている、歳をとっているわけです。
地盤となる「生き方」というのはむしろこちらの方で、我々が生きるために誰か他の人との兼ね合いが必ずしも必要ではないということです。
もちろん、現代においては誰かたった一人の力で生きていくことは難しいです。少なからずそこでは他人との関わりが必要で、そのための付き合い方、自己の統制、相手を尊重するということもやっていかなければなりません。
しかしそれはやはり「本質」ではないということですね。
我々は人との兼ね合いではなく、大自然のお力によって生かされているというわけです。
そこで冒頭に話を戻すと、人生の選択において迷ったらそれは真実の行いか、大自然の行いか?というのを考えてみるのです。
それが人間にとって最も「正しい選択だから」です。我々にとって最も親のある選択からだとも言えるかもしれません。
それを鹿やキリン、お猿さんだったら行うか。
要するに「他との兼ね合いの」話か、それとも「健なれば坐し、疲れれば横になってしまう」のように、他との兼ね合いにおいてではなく、この世界の生命の実物の話なのかというのを考えて、行動してみるということです。
実物の話、概念の話に関しての内容はこの禅ブログをこれまでに読まれてきた方であればある程度お分かりいただけているかと存じますが、初めて今回弊ブログをお読みになる方は何がなんだかわからないと思われているはずですね。
ぜひ時間があるときに読んでみてください。
人生においてこの「実物の話」かどうか、「概念の話」かどうかというのを選択肢に用いると、少し人生が変わって見えてくるはずです。


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