何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師は1079年から1134年にかけて活躍した臨済宗楊岐派の禅僧です。
本記事ではそんな何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師と道元禅師の関係性について見ていきたいと思います。
こんにちは「harusuke」と申します。
2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。
さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。
それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?
ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。
何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師とは?
何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師は、1079年から1134年にかけて活躍した臨済宗楊岐派の禅僧です。
また五祖法演門下の仏鑑慧懃(ぶつかんえごん)禅師の法をつがれて活躍されました。
何山禅師と道元禅師
道元禅師は『正法眼蔵』、「春秋の巻」で何山禅師の以下の言葉を取り上げております。
無寒暑の処は洞山の道(ことば)なり。多少の禅人ありて処所に迷ふ。寒時は火に向かひ熱には乗涼す。一生免れ得て寒暑を避れり
これはどういうことかというと、
寒さのないところというのは洞山の言葉である。そしてそれは多くの禅者の迷う所である。暑い時には涼をとり、一生寒さを避けることができる。
という意味になります。
しかし道元禅師はこれに対し、
小児子の言語のごとし。しかあれども、一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬべし
つまり、
何山禅師は五祖法演禅師の流れをくむ立派な禅者であるが、これは子供の言葉のようなものである。しかしその中で、「一生寒さ暑さをさけることができる」という言葉には後に大成する風格があると言えるかもしれない。
と批判と、励ましを送っているんですね。
そのような考え方は仏法に通じた考え方だし、仮に寒さや暑さを避けることができれば、それは脱落身心の境地であると説いているんです。
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