何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師は1079年から1134年にかけて活躍した臨済宗楊岐派の禅僧です。
本記事ではそんな何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師と道元禅師の関係性について見ていきたいと思います。
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目次
何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師とは?
何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師は、1079年から1134年にかけて活躍した臨済宗楊岐派の禅僧です。
また五祖法演門下の仏鑑慧懃(ぶつかんえごん)禅師の法をつがれて、その後活躍されました。
何山禅師と道元禅師
道元禅師は『正法眼蔵』、「春秋の巻」に出てくる、
無寒暑の処は洞山の道(ことば)なり。多少の禅人ありて処所に迷ふ。寒時は火に向かひ熱には乗涼す。一生免れ得て寒暑を避れり
という言葉で持って、
寒さのないところというのは洞山の言葉である。そしてそれは多くの禅者の迷う所である。暑い時には涼をとり、一生寒さを避けることができる。
という意見を述べられております。
これは、
小児子の言語のごとし。しかあれども、一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬべし
ということで、つまり、

何山禅師は五祖法演禅師の流れをくむ立派な禅者であるが、これは子供の言葉のようなものである。しかしその中で、「一生寒さ暑さをさけることができる」という言葉には後に大成する風格があると言えるかもしれない。
という意味の批判と、励ましを送っているんですね。
そのような考え方は仏法に通じた考え方だし、仮に寒さや暑さを避けることができれば、それは脱落身心の境地であると説いているんです。
身心脱落の経緯について
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