「うちわ」で仰ぐと、風が起こるということ

今年も例年通り非常に暑い日が続きました。我らが上野及び、下野界隈の暑さ事情でいえば、群馬県伊勢崎市が史上最高気温を記録したとのことで、世間を賑わせました。

この暑さ、今後どうなって行くのか不安です。

さて、そんな暑い夏に欠かせない道具といえば「うちわ」です。

暑い時、これは本当に役に立ちます。

うちわで仰ぐと、風が起こります。そして涼を運んでくれるわけです。

でも我々は当たり前のように思って、仰ぐけれどもなぜうちわで仰ぐと風が起こるのかわかりません。なぜでしょう。

しかもその期待が裏切られることはない。誰がやっても、またいつやってもその結果はもたらされる。

それは確実に起こるということです。

最近この事実が本当に凄いことだとおもうようになりました。

確かに人間は頭がいいですから、そのメカニズムについて確実なことを頭脳をもって言い得ることができるのでしょう。

しかしそれはあくまでも後付け。仮にそのメカニズムが明確になったとして、なぜ実際にそうなるのか?ということです。

例えば消化器官のおかげだといっても、なぜ食べたものを無事に消化できるのかということです。あるいは足の血行が悪くなるからと言って、なぜ足を組むと痛くなるのかということです。

この世界で最も大切なこと、それが事実です。なぜならそれはこの世界の「成果」であり、この世界の「正体」であり、「産物」だからです。

うちわで仰ぐと風が起こるということ。それはなぜだかわからないが、そこにはこの世界の正体全てが詰まっているということです。

例えばこの世界が全て仏だとしたら、この事実が全て仏だということです。ここで起こること全てが「仏」の呼吸、「仏」の命だということです。事実が仏教です。事実こそが仏です。

仏でなくてもいいわけです。神様でも、如来様でも、阿弥陀様でも。その正体が一体何なのかなど、どうでもいいことなんですね。

この事実だけが尊いわけです。この世界の「すべて」はこの事実に包括されているのです。

極寒の日、雑巾を絞る。その手の冷たさ。あるいは「うちわ」で仰ぐと風が起こる。

そこにこの世界の全てが詰まっているわけです。

その事実の尊さをもっと見ていかなければいけないわけです。それを伝えていかなければいけないわけです。

暑いという事。暑さを感じる事実。そこでうちわを持ち出すという事。うちわを持ち出す事実。そしてそのうちわを仰ぐと風が起こるという事。風が起こる事実。

全ての事実がとても尊い。その事実にこの世界の全てが詰まってます。

当たり前のように思っていることでも、実はとてもすごいことですよね。常に我々にはいかなる場合でもこの事実が伴走してくれます。そこでは「仏の産物」が伴っているのです。

「死してもなお仏」ということなんです。いつも100の仏をいただいているということなんです。

いつも「救われている」ということなんです。

今が仮にどんなにつまらなくても、あるいはつまらない仕事や、掃き掃除をお願いされたとしても、ありがたく、熱心に、楽しく行いたいですね。

それは仏100%だからです。

もっと私たちはこの「事実」に目を向け、この事実を大切にしたいですね!!

その意識だけで、ほんのちょっぴり人生がハッピーになりそうです。

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