今回は「禅僧たちの物語」第五弾として今日の臨済宗をお開きになった、「臨済義玄禅師」のある逸話をご紹介したいと思います。
実に誠実で、聡明な方であったとされる「臨済禅師」。
そんな「臨済禅師」が、若かりし折に触れた「真実の仏法」との出会いの話を本記事ではご紹介したいと思います。
それでは参りましょう。
こんにちは「harusuke」と申します。
2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。
さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。
それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?
ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。
臨済禅師とは?
「臨済義玄禅師」は中国の唐時代の禅僧です。
お生まれになった正式な時期と言うのは明らかになっておりませが、867年に遷化された(僧侶が亡くなること)と言われております。
また俗名は邢(けい)とされております。
二十歳の時に出家をし、その後熱心に勉学に励まれ、修行を積まれた方だったと言われているんですね。
また実に「聡明な方」であったとも言われております。
師匠にあたる方は黄檗宗の開祖でもあるかの「黄檗希運禅師」です。
本記事では、後に臨済宗を開き、青年期は実に「聡明」であったとされる「臨済義玄禅師」がまだ若い修行僧の時代の逸話をさせていただきます。
実に真面目で、聡明であった臨済義玄禅師
「臨済義玄禅師」は、言われたことを忠実に行う生真面目な方だったとされております。
その真面目さは神経質にもとれるくらいだったとされているんですね。
そんな「臨済禅師」の師匠に当たるのが「黄檗希運禅師」ですが、その「黄檗禅師の道場」で、「臨済禅師」が修行を始めて二年が過ぎようとしていた時のことです。
「臨済禅師」が「黄檗禅師の道場」で修行を行っていた際、「黄檗道場の第一座」と言われていたのは陳睦州(ちんぼくしゅう)という方です。
臨済禅師の兄弟子に当たり、「首座」と呼ばれる修行僧を束ねる役目でもあったこの「陳睦州(ちんぼくしゅう)」は、いつもこの臨済禅師の事を気にかけておりました。
「臨済」は非常に見込みのあるやつだ。真面目で、鍛え甲斐がある。もしかしたら、世を代表する立派な僧侶になるかもしれない・・・。
そのような思いからこの「臨済禅師」を何とか一人前にしたいという思いが強かったのでありましょう。
ある日、その兄弟子の「睦州」が「臨済禅師」の所へやってきて、次のように聞きます。
おい「臨済」よ。最近お前は、お師匠の「黄檗禅師」の所へ行き、何か疑問に思う事を尋ねたことがあるか?
すると「臨済禅師」は、
いや、私はいまだお師匠の元へ行ったことがありません。どのようにして行ったら良いのか分からないし、何を尋ねたら良いのかも分かりません。
と答えます。
すると兄弟子であり「首座」でもある「睦州」は次のように言います。
そうかそれならば、お師匠様の所へ行ってきなさい。
すると「臨済禅師」は、
お師匠様に何を質問すれば宜しいのでしょうか?
と聞き返します。
そして「睦州」は次のように答えます。
「如何なるか是仏法の大意。」このように聞きなさい。つまり何が「仏法ギリギリの教えですか」という事を質問してきなさい。
このように言われた「臨済禅師」はその生真面目な性格もあって、「睦州」に言われた通りに師匠である「黄檗希運禅師」の所へ向かう訳ですね。
「黄檗の仏法足す無し」
師匠の元へ到着した「臨済禅師」は「睦州」に言われたまま「黄檗禅師」に尋ねます。
如何なるか是仏法の大意。
すると、師匠である「黄檗禅師」は持っていた警策で「臨済禅師」をぶちのめしてしまうんですね。
喝!!
そのようなことで「臨済禅師」は這う這うの状態で「睦州」のいる所へ戻っていきます。
すると「どうだった?」という風に「睦州」に聞かれる訳ですね。
そこで、
はい。兄弟子に言われた通りに「如何なるか是仏法の大意。」という風に質問したら、お師匠様は私の事を持っていた警策でブチ叩いたんです。
と答えます。
すると「睦州」は次のように言います。
そうであったか。それではもう一度師匠の元へ行き、「同じ質問」をしてきなさい。
このように言われて、生真面目な「臨済禅師」はもう一度同じように師匠である「黄檗禅師」の元へ向かい、先ほど同じ質問をする。
如何なるか是仏法の大意。
すると「黄檗禅師」は先ほどと全く同じ様に、持っていた警策で「臨済禅師」の事をブチ叩くわけです。
喝!!
そのような事でまた這う這うの状態で帰ってくると、再度「睦州」が「臨済禅師」に「どうだった?」と聞く訳です。
「いや、先ほどと全く同じでありました。私の一体何がいけなかったのでありましょう。私のどこが失敗したと言うのでしょうか。」
という風に「睦州」に聞くんですね。
すると「睦州」は、
ああそうか、そうか。それではもう一度行きなさい。同じ質問をもう一度してきなさい。
このように言うわけです。
すると生真面目な「臨済禅師」は言われた通りに再度お師匠様の元へ向かい、質問をします。
如何なるか是仏法の大意。
それでも一度目と、二度目と全く同じように持っていた警策でブチ叩かれてしまうんですね。
そして這う這うの状態でまた「睦州」の元へ戻ってきます。
そして「睦州」が質問する。
どうであったか?
すると「臨済禅師」は次のように答えます。
はい。お師匠様の「黄檗禅師」は私を目の敵のようにしています。私の事を三度にも渡りブチ叩くのです。一体私のどこがいけなかったんでしょうか。私はこの道場にはご縁が無いようです。ですから私は他の道場に行きたいと思います。
このように答える訳です。
「臨済禅師」の気持ちは分かりますね。
私であれば、一度目でもう嫌になってしまうかもしれない。
このように「臨済禅師」に言われた「睦州」は次のように答えます。
そうか、それでは少し待っていなさい。お前はこの道場において二年間も修行し、お師匠様にもお世話になった。帰るにはそのまま逃げるようにして帰るのではなくて、ちゃんと仁義を切ってお師匠様にご挨拶をして行くようにしなさい。
そのように兄弟子であり、当時の「首座」でもあった「睦州」に言われたものですから、「臨済禅師」は「威儀(いぎ)身だしなみのこと」を調えて、「黄檗禅師」の元へ向かいました。
その間、「睦州」は「臨済禅師」が「黄檗禅師」の元へ到着するより先に「黄檗禅師」の元へ向かい、次のように進言します。
あの「臨済」ですが、私が見るに中々骨のあって育て甲斐のある人物のように思います。後には立派な人間になるような素質があると私は思うのです。ですからお師匠様、あの「臨済」を育ててやってください。
このように進言していたのですね。
そして「黄檗禅師」も、
そうか。実は私もそのような気がしていたのだ。それならばお前の言う通り私も考えよう。
と、「睦州」に言う訳です。
そして「臨済禅師」が「黄檗禅師」の元へ到着し、お世話になった「黄檗禅師」にお別れの挨拶をするんですね。
お師匠様、大変こお世話になりました。私は道場を去ろうと思います。
すると師匠である「黄檗禅師」は、これまで叩くばかりで開こうとしなかった口を遂に開き、次のように言います。
そうか。お前は他の道場に行ってはいけない。私の無二の親友である弘安大愚(こうあんだいぐ)という所に行って修行をしてきなさい。
そのように言われた「臨済禅師」は素直に「はい、分かりました。」と答え、師匠に言われた通り「弘安大愚禅師」の所に、向かいます。
そして無事「弘安大愚禅師の道場」に到着すると「弘安大愚禅師」が「臨済禅師」に次のように聞きます。
お前はどこから来たのだ?
はい、「黄檗希運禅師」の道場からやって参りました
そうか、「黄檗」はお前にどのように教えを説いているのかね?
はい。立派な「黄檗禅師」の元、これまで修行をしてまいりました。しかし私が「如何なるか是仏法の大意」と質問すると、「黄檗禅師」は私の事をブチ叩くんです。それを一度ならず三度も叩くんです。一体私のどこがいけなかったのでしょうか。
このようなやりとりを行うんですね。
「臨済禅師」は「弘安大愚禅師」の元へ到着するや否や、これまでの経過報告や自分の思いを話します。
すると「弘安大愚禅師」は次のように「臨済禅師」を叱りつけるのです。
お前は「黄檗禅師」がその老体にも関わらず、鞭打ってまで親切にお前を導こうとしているのに、その親切さが分からないのか。「臨済」よ、それでも自分の非がどこにあるのかという、百八十度も違った思いで今もいるのならばお前には「仏法」など今後一切分からないままだぞ。
そのように言われて、「臨済禅師」はハタと気が付くんですね。
そうか「黄檗禅師」は私にそのように示してくれていたのか。
その時「臨済禅師」は悟ることが出来たのですね。
そしてその時に「臨済禅師」が発した言葉が、
黄檗の仏法足す無し
という言葉です。
つまり、「黄檗禅師の仏法は多くないな、高が知れているな、くだらないな」という意味ですね。
これは実際に「臨済禅師」が悟られた時の言葉であります。
「黄檗の仏法足し無し、くだらない仏法だったな、なんだそうだったのか、」と気が付くわけです。
そして弘安大愚禅師は、
お前は先ほどは自分に一体どこに非があるのかと質問しながら、今度は「黄檗の仏法足す無し」と言うわけか。お前の師匠は私ではない。黄檗の所に帰れ。
と言って「臨済禅師」を「黄檗禅師」の元へ帰らせるんですね。
黄檗禅師が伝えたかったこと
それでは一体「臨済禅師」は何に気が付いたのか?
黄檗の仏法足す無し。
この言葉の意味とは一体何だったのでしょうか?
黄檗禅師が私に示したかったこと。それは「仏法とは足す無し」だということだ。
つまり「仏法」はそういう事だったのか!という事に「臨済禅師」は気が付かれたわけです。
「本当の自分」、「本当の仏法」にここで気が付いてしまうんですね。
一体何に気が付いたのか?
「禅語」で、「啐啄同時(そくたくどうじ)」という言葉があります。
例えば「ヒヨコ」が「殻」から「雛」に返る時に、外界に出ようとして卵の中で内側を突っつきます。
そして「親鶏」も卵の外側から突っつく。
「内側から突っつく」事と、「外側から突っつく」事が同時に起きて殻が破けます。
この事を「啐啄同時(そくたくどうじ)」と言います。
今回の話で言うと、「黄檗禅師」と「弘安大愚禅師」そして兄弟子である「睦州」。
この三人、四人が「臨済禅師」の為に色々な策を弄して、一人の修行僧を導く訳ですね。
まさに「啐啄同時(そくたくどうじ)」であります。
そしてそのおかげで「臨済禅師」が気付いた「仏法の大意」とは一体何なのか。
それまでの「臨済禅師」は概念として「仏法の大意」を理解しようとしておりました。
兄弟子の「睦州」にすすめられ、「如何なるか是仏法の大意。」と。「仏法が誇る最大の教えはなんですか?」と「黄檗禅師」に質問していたわけです。
そして「黄檗禅師」が現代でいう「大学の教授」みたいに「え~仏法の大意とは・・・であるぞ。」という風に黒板に書いて教えてくれるものだと思ったのでありましょう。
しかし実際はそうではなかった。
持っていた警策で何度も何度も叩かれるわけですね。
しかしこの「警策でブチ叩かれれば痛い。」こそ、「仏法の大意」だったんですね。
これ以外のどこに「仏法」があるのかと。
お釈迦様から滴々と受け継がれてきた「仏法の大意」、即ち「本当の仏法」というのはこれ以外にどこにもないのです。
「警策でブチ叩かれて痛い。」言い方を変えれば「お前の生きている、証拠」、「生命の実物」これ以外にどこに仏法があるのか、今ここに生きている、この事実以外に一体どこに仏法の真実があるのかねという事です。
「黄檗禅師」はそのことを老体に鞭打って「臨済禅師」に示そうとしてくれていたわけです。
その「親切心」にやっと「臨済義玄禅師」も気付くことできて、その後「黄檗禅師」の正式な弟子となって仏祖となられて行くわけであります。
「仏法との出会い」それは言い方を変えれば「本当の自分との出会い」です。
更に言えば今ここに生きている「事実」との出会いです。
そのことを「黄檗禅師」は「臨済禅師」に「痛み」をもって伝えようとしていたのです。
我々は「生きている」ということをいつも「頭」で理解しようとします。
しかし、生きていることを頭で理解しようと思ってもそれはできません。
本当の理解は「頭」でするものではないのです。
本当の仏法も「頭で」理解するものではないのです。
今回は曹洞宗と並び称される臨済宗の開祖ともなった「臨済義玄禅師」のお悟りを開くに至った逸話をご紹介しました。
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