私が今後やっていきたいこと、あるいはやらなければいけないこと。仏法者にこれから求めるもの。

ここでは花が枯れ、いつでもどこでも肌をつねればいたいわけです。それだけなんですね。

しかしそれだけとは言っても、それがこの世界の真実のわけです。それしかないわけです。

常に世界の100の真実を受けている。それは世界と共にあるということ。事実、世界と溶け合っているから、1秒ごとに老化していくわけです。

世界とは自己の展開であり、自己が世界。世界と自分とは1つのわけです。

また自分もそう、世界もそう。そこできちんと100の真実を現しているからそういうことが起こるわけです。

つまり何が言いたいのかというと、この世界は1つで、真実だけなんですね。いつでもどこでも、この世界においては真実が常に展開している。そしてその世界と私とは1つだということです。

全て仏法のみ、真実のみということですね。

世界のあらゆるものも、自分もあらゆるものも、真実の世界を、真実の命を生きているわけです。

いつどこにいようと、なにがあろうと、上も下もないこの世界のすべてを、この世界の正体を、この世界の恩恵をいただいているわけです。

足を組む。すると足が痛くなる。この世界においてはそれ以上も以下もないんですね。これ以上の恩恵はないんです。そこにすべてが詰まっているんです。

なので坐禅を組むのです。その足の痛みに世界の真実が、この世界の仕組みが、この世界の正体がこの世界の全てが詰まっているからです。

坐禅が真実だからです。坐禅がこの世界の正体だからです。本来だからです。我々の常にいるべき場所。帰るべき仏の家だからです。

あるいは坐禅ができなくても、他に求めることをしない。今、この瞬間に自分が全てを手にしているのだと自覚する。全てと1つなのだから、仏とも1つ。今、ここが全てを仏を手にしているのだと自覚する。

全てが真実の現れだと、この世界に生きている私は救われないことがない、手にできないものがない、そのように思って生きていく、それを携えて生きていく。

それが我々にできることです。我々の正しい生き方です。つまりはそれが仏道です。

そのように思えると世界がすべてが笑っているように思える。何があろうとすべてが笑っているように思えてきます。

いつどこでも最高の人生になるような気がします。

貧乏だろうが何が起ころうがすべてと笑い合えるようになる。どこにもいかなくてもいい、何かを手に入れなくてもと思える。

このように思えた以上の安心はありません。このように思えた以上の幸福はありません。

なので常に我々人間はそのように生きていきたいものです。

そのように生きること、生きれること、これができるのが本当の勇者です。そして勇者の力です。あるいは真実の人、本当のお坊さんということでしょう。

常に笑っていられる人です。

勝手な想像ですが、良寛さんはそんな感じの人だったのかなぁって思ったりします。

いつでも笑ってる人。それが本当の勇者です。

いつでも笑えるようになったら、その時は紛れもない勇者です。真実の人です。

いつでも笑えるようになれ。どんなものも、どんな境遇もみんな仏だということですね。笑うべきことだということです。

あるいはそれをみんなに伝えられるともっと素敵ですね。世界のみんなに伝える。

そして世界のみんなが笑えるようになる。世界のみんなが笑っている世界。全てが全てと仲良くなれる。思いあえる。笑い合える。そんな世界をもたらす、そんな世界を実現する。それが勇者であり、宗教者の役目ではないでしょうか。

私もそうした仕事がしたいです。

仮にずっとは笑えなていなくてもいいんです。今の人間社会は辛く厳しいものです。いつもそのせいで怒ったり、歪んだ顔をしていてもいいんです。

しかしいつでも、いかなる時も自分はこの世界に生きている。そしてその世界では全てが真実が展開しています。全てが笑っている世界です。

自分は紛れもなく絶対的な安心の世界に生きてるのだと。

それが心からわかった時、一度は心からちゃんと笑えるはず。それだけでもできればいいんです。一度でもこのことに気づければいいんです。一度でも心から笑えればいいんです。

その機会だけでも、もたらせないでしょうか。1人1人に「一度は本当の笑い」をです。

それをもたらすことができるのが「坐禅」です。

この世界中の人に一度だけでも坐禅を組んでもらえればそれはできると思います。

坐禅を組むこと、仏道を歩むこと。これが我々の本当の幸せです。本当の生き方です。

あるいは坐禅を勧めること。

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