「香厳撃竹大悟」とは何か?①(考察編)

今回、禅の公案(昔の祖師方のお話)において非常に有名とされる「香厳撃竹大悟(きょうげんげきちくたいご)」というお話を取りあげていきたいと思います。

このお話(公案)は道元禅師が記された書物、「正法眼蔵」三百則に出てくる公案です。

またこの「公案」には「禅」とは何か、「真の仏法」とは何かをしる上で多くのヒントが隠されており、この公案をとりあげ、参究した禅者や研究者は今まで数えきれないほどいたことが推測されます。

私も恐れながらこの「お話(公案)」をとりあげさせていただき、読者の皆様に少しでも分かりやすくお伝えできればと思っております。

そこで今回は、

  1. 考察編
  2. まとめ編

の2回に分けて解説させていただきます。

今回はその①考察編をお送りいたします。

それでは参りましょう。

私の尊敬する「沢木興道氏」の著書です。「禅」とは何か?あの独特な語り方でユニークに語られております。実に面白い一冊です。
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この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

香厳撃竹大悟とは?

本記事では、

「香厳撃竹大悟(きょうげんげきちくたいご)」とは何か?

について解説していきたいと思います。

宜しければまず下の3つの画像と参考文を用意しましたので、一度目を通していただければ幸いです。

参考文(主にひらがな)

とうしゅうきょうげんじ、しゅうとうだいし大意につぐ、いみなはしかん。そのせいそうびんなり。いさんのえかにありてたもんはっきなり。

いさん一日言わく汝つねにとくところはことごとくこれ、しょうしょのなかよりきじとくしきたる。我今汝に問う。なんじあしゅ、しょうげしてようじとなるとき未だ、東西南北をわきまえずこのときにあたりて我がためにときみよ。師あぎょす。あぎょしならびに、道理を説くも普くあいかなわず。

また平静集むるところのもんじにおいてじんきゅうするにすべてこれこのあいかなう時節なし。即ち嘆きひきゅうしてもろもろのもんじをもって火をもってねっきゃくす。即ち言わくわれこのしょうにあえてぜんをえすることをのぞまず、暫く山にいりて修行しさらん。ゆかん。

即ちぶとうざんの忠国師のきゅうあんのもとにいりて庵をたつ。一日道路を平常するにいしつぶてれきを捨てて竹を打つ響きによりて時において忽然として大悟す。即ちじゅありて言わく。一撃にしょちを忘ず。更にしゅうじをからず。どうようころにあがり少年の期にだせず、しょしょしょうせきなし。声色界の威儀なり。しょほうのつどうのものことごとくじょうじょうの期という。潙山聞きえて言わくここってせりと。

曹洞宗をおひらきになった道元禅師というかたがおります。

そして今回の「香厳撃竹大悟(きょうげんげきちくたいご)」というのは、その道元禅師によってしるされた、正法眼蔵三百則の中で取り上げられている公案(お話)になります。

それでは基礎をふまえていただいたところで早速参究して参りましょう。

香厳撃竹大悟を参究する

早速ですが本記事の参究にはいってまいりましょう。

まず冒頭の、

とうしゅうきょうげんじ、しゅうとうだいし

というところから。

鄧州(とうしゅう)というのは地域名のことで、現在でいう北京の南、河南省の黄河の南に位置してる場所のことです。

その鄧州における、南陽山というところに香厳寺というお寺があります。

そしてその場所に、後に「襲燈大師(しゅうとうだいし)」と呼ばれる、「香厳智閑(きょうげんしかん)」禅師という方がおられました。

今回の主役ですね。

この「香厳智閑(きょうげんしかん)」という方は百丈壊海禅師の元で出家、得度をするんですね。

伝狩野元信 祖師図(香厳撃竹)サイトTOHAKUMANIAさまより出典

しかし得度をして間もなく、師匠の百丈壊海禅師は亡くなってしまいます。

それで仕方がなく、百丈壊海禅師の一番弟子とも称された「潙山霊佑(いさんれいゆう)」禅師のところに訪ねて行くんです。

そこから、今回の公案(お話)が始まります。

そのせいそうびんなり。

さて、この香厳智閑禅師は、生まれつき非常に頭の良い人だったとされています。

「聡明」であり、「明便」であったとされているんですね。

非常に物覚えが良く、一を言えば十を理解するような非常に頭の良い人だったと言われております。

また、

いさんの会下にありて。

ここの潙山(いさん)というのは「潙山霊佑(いさんれいゆう)」禅師の事を指しております。

先ほども述べましたがこの「潙山霊佑(いさんれいゆう)」禅師というのは百丈懐海禅師の一番弟子ともよばれた方で、当時黄檗希遷(おうばくきうん)禅師と並び称されるほど唐代の禅界を代表される方です。

その「潙山に初めてお会いした時」ということですね。

すると、潙山禅師が次のように言います。

一日言く汝つねにとくところはことごとくしょうしょのなかよりきじとくしきたる。

どういうことかと言うと、

お前さんは非常に頭が良いと聞いておる。一を質問すれば十を答え、十を質問すれば百を答えるという噂を私は既に聞いておる。現にお前の言うところは非常に素晴らしい。

というのです。

そして、

ことごとくしょうしょの中よりきじとくしきたる。

しかし、お前さんの話すところはみんな仏教経典に書いてあること。あるいは生まれ育ってから習い覚えたことばかりだな。物覚えが良いだけで、お前はその注釈書から引っ張り出して説明をしているだけだな。

というんですね。

恐らく非常に困惑したでしょうね、当時の香厳智閑禅師は。

いきなりそんなことを言われるんですからねあ。

続きに参ります。

我今汝に問う。汝しょうげして幼児となるとき未だ東西南北をわきまえずこのときにあたりて我がためにときみよ。

つまり、

お前は本当に立派だ。頭が良いから何でも知っている。話す内容も「理路整然」としている。それではな、お前が生まれたばかりの赤ん坊の時、未だ東西南北をわきまえないとき、その時の事をどうか私に説いてくれないか。

というんですね。

どういうことでしょうか?

つまりここでは、「母親から生まれ、この世に生を受けた時、右も左もわからない。何も分からず母親にすがるしかなく、知識も何もあったものではない。」その時の事を私に説いてくれよ、と言うんですね。

「父母未生以前(ふぼみしょういぜん)」の事実を私に説いてくれということなんですね。

何もまだ人から教えてもらってない、純粋無垢な時に私に何か言ってくれよと、本来の自己についてちゃんと教えてくれよと、有名な父母未生以前の自己について何か語ってみよと。

そういう訳です。

しかしそんなこと言われても答えようがないですよね・・。

「父母未生以前の事実」、これというのはつまり、「本当の仏法とは何か?」について聞いているんですね。

簡単に言えば、

概念が刷り込まれる前に、どうか真実の仏法について一つ説いてみよ。人生以前。分別以前。そこを上手に私に説いてくれんかのう。

と聞いているわけなんですね。

そこで、

師あぎょして道理にとくるも悉くあいかなわず。

質問をされた香厳禅師はしめたと思ったんですね。

任せて下さい!と言わんばかりに息をはいてその質問に答えるわけです。

そして潙山を前にして色々と喋っていくんですね。

香厳禅師は頭の良い人ですから、今まで習い覚えた事をペラペラペラペラと答えていくんです。

しかしそれを聞いていた潙山霊佑禅師は何一つ認めてくれません。

だから、それはさっきも言ったようにお前が産まれてから習い覚えた話じゃないか。この世に生まれる以前の、東西南北をわきまえない時の、赤ん坊の時の話をしてくれないか。習い覚えた話は私は知りたくないんだ。どうか経典などから習い覚える以前の「自己」について話をしてくれないか。

当然ながら香厳禅師は答えられないわけです。

なので、

またへいせいあつむるところの文字において、じんきゅうするにすべてこれこのあいかなう時節なし。

というのは、「何一つ、質問に対して答えになるようなことは一つも言えなかった」ということなんですね。

何一つ潙山の思いにかなわなかった。

そのように質問された香厳禅師は、「なんだそれは!?どこにそんな答えが書いてあるんだ!?」と思ったことでしょう。

そしてまた、色々と書物を漁り始めるわけです。

しかし当然ながら書物の中には、そのような答えなど何一つも書いておりません。

生まれたばかりの赤ん坊の時に帰って真実の仏法を説いてくれというようなことを言われても、そんな答えなんかどこにも書いていないわけです。

それまで「聡明」と周りからチヤホヤされてきた香厳禅師だけに、「答えられない質問」があるということにさぞ悔しい思いをされたのでしょう。

そして遂に、

すなわちなげきひきゅうしてもろもろのもんじをもって、火をもってねっきゃくす。

それまで習い覚え、集めてきた書物を、燃やしてしまったというんです。

ここではどの場所で燃やしたかまでは明らかにされていません。

もしかしたら本堂の前で、松明を持って燃やしたのかもしれない。

本当に悔しかったんでしょうね。

どこを探しても答えが見つからない。

今まで読んできた書物の中には何一つお師匠様の思いにかなう言葉が見つからない。

そして、

すなわち言わく、我このしょうにあえてぜんを会することをのぞまず。

と残されます。

つまり、

香厳禅師

今生において私は真実に目覚める事はもう出来ない、お師匠さんの問いに答えられるようなことは私にはもうかなわないし、真実の仏法に会う事もできないんだ。

そう香厳禅師は絶望してしまうんですね。

そして、

しばらく山にいりて修行しさらん。

つまり、

私はお師匠の「潙山」様の所にいても、もう何も得られないかもしれないし、このままいても迷惑になるだけだから山にこもって修行をしよう。

というのです。

「武当山(ぶとうさん)」という山の中に入って、尊敬する「南陽慧忠国師(なんようえちゅうこくし)」の墓守をさせていただきながら、坐禅修行でもして静かに暮らそうというんですね。

少しここで休憩しましょう。

さてどんな思いでその山の中に入っていったんでしょうね、当時の香厳禅師は。

「私はもう今生においてはダメなんだな」と、さぞがっかりされていたんでしょうね。

なにしろこの香厳禅師は頭が非常に良い人だった訳です。

現代で言うと、「東大」出身者でも通用しなかった方かもしれないし、文学博士の資格をもらってとしても通用しなかったかもしれないほど優秀なお方だったかもしれない。

なので相当辛かったのだと思います。

もう私はダメだと、本当にがっかりされて、山の中へ行っていくんです。

そうか、私はダメなんだ。私の尊敬する、心の師である、慧忠国師のもとに行って、墓守をして一生過ごそう。

それからというもの、毎朝お粥をいただきながら、きちんとお墓掃除をしておったのでありましょう。

中には一生懸命、「竹箒」で掃除する日もあったのだと思います。

そのような折、

一日、道路をへいじょうするにいしつぶてを捨ててたけを打つ響きによりて時において忽然として大悟す。

掃除の最中に竹林の中に小石を捨てようと思って、その小石をポンと投げるんです。

するとその投げた小石が竹林の竹に当たって、「カチーン」と良い音がしたんですね。

その音を聞いて、この香厳禅師お悟りをひらくことができるんですね。

さてこの「香厳撃竹大悟」というお話は、あまりにも有名なお話です。

私も小さい頃からこの話を知っていたので、せっかくなので真似して、竹林に石をぶつけてみたことがあります。

しかし、一向に「悟り」などひらけたことがない。

香厳禅師が出来たのだから、私も同じようにやって「悟り」をひらけるのではないかと試してみても、やはりそれは叶わぬ話であります。

そこには契機や過程があるわけで、同じように竹に石が当たれば悟れるかというと、そういう事ではないんです。

話が脱線しましたが、その「カチーン」という音を聞いてそれをきっかけにして真実に目覚めることができた。

「ああそうだったのか!」と、香厳禅師は今までの考え方すらすっかり変えられてしまったんですね。

そういうお悟りだったんです。

そして沐浴をして、その場で師匠の「潙山」禅師の方に向かって五体投地の礼拝をされるんです。

「ありがとうございます!」と、お拝をされるんですね。

そして、

すなわちじゅありていわく

その時に偈頌(げじゅ)を作って述べたというんです。

どういう「偈」であったか?

それが、

一撃に所知を忘ず

という有名な「偈」だったんですね。

小石が竹に当たり、今まで香厳禅師が習い覚えた事はすっかり忘れてしまったというのです。

我々人間は何事も積み重ねのような気がするんですね。

この「悟り」というのも日々の積み重ねのように感じてしまう。

「勉強をすれば頭が良くなるんだ!」、「坐禅をすれば悟りがひらけるんだ!」。

そのように感じてしまう。

それまでの香厳禅師も同じように、勉強を日々熱心に続けていればいずれは「悟り」を得られるものと思っていたのかもしれません。

その為に、香厳禅師は今まで一生懸命にやっていたのかもしれない。

しかしそれは、「人間の思惑」だったんですね。

その「人間の思惑」を一生懸命追い求めていたに過ぎなかったんです。

そういう「人間の思惑」に沿った修行をしていたんです。

しかし、その時竹に石が当たって、

ああそうだったのか!そういうことだったのか!

と気づかされるわけです。

自分で勝手に作り上げた「思惑」にそった修行方法が間違いであったという事に気付かされたんですね。

これが香厳禅師にとっては非常に重要な気付きでありました。

そのための契機だったんですね、この「香厳撃竹大悟」というのは。

香厳撃竹大悟考察まとめ

人間は誰しもがそのように狙いを付けて行じるという「癖」をもっております。

言い方を変えれば見返りを求めた行動をとるんですね。

「優しくすれば優しくされる」とか「修行をすれば悟れる」とか。

そしてこの「仏法」の「悟り」においても同様だと、香厳禅師は思っていたんですね。

しかしそれは単なる「人間の思惑」にすぎません。

「大自然」にはそのような見返りは一切ありませんからね。

我々人間も、本来はそうです。

見返りなくこの心臓は鼓動しているし、見返りを求めずに消化も呼吸もしているわけです。

その「大自然の理」を、この「香厳撃竹」で知ることができたんですね。

だからこそ道元禅師も、今回の主人公である香厳智閑禅師も、そしてその師匠である潙山霊佑禅師もその自分の狙いを付けてする修行法を徹底的に否定されるわけであります。

我々の求める本当の「安心」や、「悟り」というのも、同じように人間の手段、手法によって求められるものではありません。

さて以上で今回、「香厳撃竹大悟(きょうげんげきちくだいご)」の一回目となる考察編をおわりにしたいと思います。

香厳撃竹大悟」という公案は、今まで数多くの研究者や実際の師弟関係の間で取り上げられてきた非常に有名なお話です。

この記事をご覧になっているあなたも何かのご縁で、この公案に触れる事が出来たのだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

まとめ編もご用意してありますので、宜しければご覧ください。

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