廓然無聖とは?意味や経緯について。

廓然無聖

道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。

今回は「廓然無聖(かくねんむしょう)」についてお送りいたします。

今回の「廓然無聖」は道元禅師だけでなく、今日の仏教界にも多大な影響を及ぼす「パワーワード」です。

是非本記事でこの「廓然無聖」がどういうものなのか?理解を深めてみてください。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内に暮らしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

廓然無聖とは?

廓然無聖

「廓然無聖(かくねんむしょう)」とは、インドから中国に「真の仏法」を伝え、中国禅の初祖となられた「菩提達磨様」が中国に上陸をし、はじめて「梁の武帝」と会見した際、「いかなるかこれ聖諦第一義」と尋ねられた時に達磨様が答えたとされる「言葉」です。

少し長い説明になってしまいましたね、、後程その経緯について詳しく解説します。

つまり「いかなるかこれ聖諦第一義」、「本当の仏法とは何ですか?」と聞かれた際、それに対する達磨様の「返答の言葉」がこの「廓然無聖」だったんですね。

そもそも「廓然」とは「がらんとした何もそこにはない空虚な様のこと」をいいます。

またここで言う「無聖」の「聖」とは、我々がよく使う「聖人」のような意味合いの「聖」ではなく、「人間の価値観を超越した絶対的なもの」という意味として、この「聖」が使われております。

つまり達磨様から言わせれば「真の仏法」とは「人間の価値観には収まらない大自然の行いである」というわけなんですね。

どういうことか?

それでは以下で達磨様が「廓然無聖」と言われた経緯について見てみましょう。

廓然無聖、不識の経緯

達磨様はインドから中国に「真の仏法」を伝えられました。

その中国の南京において、当時「梁」と呼ばれる王朝があったと言われております。

またその「梁」王朝には「武帝」という国を統治していた権力者がいたんですね。

当時の「武帝」という程ですから、非常に武力も長けておったのでしょう。

その「梁の武帝」の武力によって「梁」という国は治められておりました。

その武帝が率いる「梁」の国は、自国の武力を用いて様々な国から様々な物を略奪していくんです。

中には残忍な行いも多々あったのでありましょう。

その事を非常に「武帝」は反省をするわけですね。

その悔恨の念もあり、武帝は「仏教」を非常に深く信仰したと言われております。

「沢山のお寺を建てたり」、「お経を訳されたり」、「経典を印刷されたり」、或いは「出家者を供養したり」、また或いは「自分もお袈裟を付けて法を説いたり」したとも言われています。

非常に仏教を深く信仰されていたわけです。

そのような背景もあり、「武帝」は南インドから真の仏法を伝えるために「達磨様」がやってきた事を聞きつけ、話を是非聞いてみたいと思うんですね。

そして問答をする訳です。

まず、「梁」の武帝が

武帝

私は仏法を大切にしてきた。お寺を建て、お経を作り、出家者を供養してきた。私は仏教の為に様々な貢献をしてきたが、どれほどの功徳がありますか?

と、達磨様に質問します。

すると達磨さんは、

達磨様

無功徳

という風に答えるんですね。

つまりそんな事をしたからと言って何も「功徳」はないぞと、「無功徳」と言われた訳です。

一生懸命「仏法」の為に尽力してきたというのに「無功徳」と言われてしまった。

当時の「梁」の武帝はさぞ、理解に苦しんだでしょうね。

そこで、

武帝

どうして功徳がないのか?

と重ねて尋ねると、達磨様は、

達磨様

そのような善行は、人間界や天界に小さな結果をもたらすだけで、煩悩の世界へ迷い込む原因となるだけだ。例えばそれはちょうど物事の「影」のようなもので、決して真実の存在ではない。なのでそのような真実に存在しないものに施したとしても無功徳なのである。

と答えられます。

そのようなことを「梁の武帝」は言われてしまうわけですから、さぞ驚いたことでしょうし、この「けしからん奴め!」という思いに段々と駆られていったことでしょう。

そこで再度「梁の武帝」が達磨様に質問するんですね。

武帝

それでは真の功徳とは何だ?

つまり冒頭でもでてきた、「いかなるかこれ聖諦第一義」と聞く訳です。

すると「達磨様」は、

達磨様

廓然無聖。物事に功徳もなければ、聖も凡もない。物事に対立はないのだ。すべて一つの仏の命として繋がっているのだ。

と答えられるんですね。

「梁の武帝」はそのような返答に納得できず、

武帝

朕に対する物は誰ぞ。(それでは現にこうして私の目の前で問答しているのは誰だ?私とお前とではこのように対立しているではないか?対立しているからこうして会話ができるわけじゃないか!)

と再度尋ねるんですね。

そこで達磨様は、

達磨様

不識

このように言われ、「梁の武帝」をつっぱねてしまうのです。

もう話にならない。話しても無駄だと言う感じで「不識」と言われたのでしょうか。

それともこの「不識」こそ、達磨様からすれば「誠実な答え方」だったのでしょうか。

「仏法においてもうお互いの価値観で話すのはやめよう。私は坐禅がしたい。」そのように達磨様が言われているような気がします。

いずれにせよですが、それからというもの「達磨様」はこの「梁」の地を去り、かの有名な嵩山の少林へ赴き、「面壁九年の坐禅」に入られたと言います。

このようなやりとりが実際にあったかどうかは定かではありません。

それでも「廓然無聖」、「不識」と達磨様が述べられたのは、「真の仏法」は、人間の価値観や相対的な世界とは一切関係のないことを言いたかったからなんです。

真の救いとは「人間同士の間」でもたらされるものではないんですね。

もちろん「人間」が作った医療技術で寿命を長らえたり、エンタメや、お坊様の励ましの言葉などで、心が軽くなったという嬉しいケースもあると思います。

しかしそれは「救いにおける根本」の部分ではないんですね。

しかもそういったものは「人間の間」にしか通用しないわけですから。

我々の本当の救いは「生命の実物に立ち帰ること」、「生命の実物に親しむこと」。

そしてそれは人間のみならず、この世に存在する生きとし生けるすべての存在に対する「救い」なのです。

犬もそう、リスもそう、草もそう、壁もそう、飛行機もそう。

すべてが「いま、ここ、この命」を震わせている。

坐禅をしているんです。

それが仏教の本来の教えで、いつの時代も変わらない「救いの在り方」なのです。

更にひいては曹洞宗などで教化のために言われている「行いがそのまま悟り、行いがそのまま救いである」ということなんですね。

このように人間生活における大切なことに気付かせてくれるのが「達磨様」と「梁の武帝」による今回の「廓然無聖」、「不識」のやりとりなんですね。

廓然無聖と道元禅師

道元禅師は『正法眼蔵』、「行持の下の巻」の中で、この「達磨様」と「梁の武帝」との問答のやりとりを引用され、これに対する道元禅師自身の見解が述べられております。

興味のある方は是非この機会に目を通してみると良いかもしれません。

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以上お読みいただきありがとうございました。

廓然無聖

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