雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師は、中国唐代の禅僧です。
今回はその雲巌曇晟禅師とはどのような人物なのか簡単にご紹介したいと思います。

雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師とは?

雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師は、780年から841年まで生きた唐代の禅僧です。
この雲巌曇晟禅師は、最終的に青原行思(せいげんぎょうし)禅師の系統の薬山惟げん(やくさんいげん)禅師の法をつがれます。
最終的にはと言ったのは、中国「鐘陵(しょうりょう)」のお生まれで、はじめ百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師について20年間学び、百丈禅師亡きあと、薬山惟げん禅師のもとで大悟されたからです。
その後、潭州の雲巌山(うんがんざん)に住み、多くの弟子を育てながら禅を広めていかれます。
雲巌山(うんがんざん)とは、中国湖南省の潭州という地にあります。雲巌曇晟禅師が、この山に住んで禅をといたことから世に知られるようになったと言われております。
雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師の弟子
その雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師のお弟子さんには、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師がおります。
その洞山良价禅師は、のちに中国きっての高祖とも言われるようになるお方ですが、かの「香厳撃竹大悟」の公案にも出てくる潙山霊祐(いさんれいゆう)禅師のもとで仏法の修行に励んでおりました。
修行の途中、その潙山霊祐禅師のすすめで、次にこの雲巌曇晟禅師のもとを訪ねるんですね。
そしてこの雲巌曇晟禅師の法をついだと言われております。
そこで交わされた「雲巌無情説法」という問答が有名ですが、後の高僧とまで言われた「洞山良价禅師」を育てあげるほどの力量をこの雲巌曇晟禅師は備えていらしたんですね。
今日の仏法の礎を作ったお方でした。
その後、雲巌曇晟禅師は841年10月、病に臥されたと言われております。
そして同月26日の夜に、禅師は帰寂されました。
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