例えばトイレで用を足した後、レバーを引けば簡単に水が流れます。
リモコンのスイッチを入れれば、簡単に冷房がきき始めます。
あるいは「うちわ」で仰げば、風が起こります。
或いは人間以前の、大自然のみの世界だったとしてもそうです。
木々が自らのその働きによって茂る。風によってなびく。雨によって濡れる。そこでおいしく茂り、草食動物に食べられる。
人間が発明したものだろうがなんだろうが、このように全てのものにはそうすることによってそうなるという「道」が用意されております。
この世の全ての物事は、因果はさまざまでも、必ず「結果」に恵まれるようになっているということです。またそのための道が用意されているということです。
その道を通ることによって、きちんと形になる。結果となる。この世界に登場する。この世界で役割を果たす。
あるいは役に立たなくても、この世界に意味もなく溶けているだけでも。
またここは仏の世界です。鳥の鳴き声が自身の耳を震わせるように、他によって自分の命は存続させられているからです。呼吸などがまさに良い例です。ここでは全てが同時。1つなのです。仏とも同時、1つなのです。
なのでここでは全てが「仏」だということです。結果は全て「仏」となります。事実は全て「仏」なのです。
そのような結果に導くということで、この「道」のことを「仏性」と言います。
その道を通ることによって必ず仏という結果をなす。必ずこの仏の世界に溶けていくという働きがこの世の全てのものにはあります。
全てがそのような働きを持っているということ、仏を生み出すということで「仏の種」、あるいはこの「仏性」と言います。
この世の全てはそうした「仏性」を兼ね備えております。必ず仏の結果が生まれるという道がそこには含まれているということです。
例えば1970年代製のストーブと、2025年製のストーブとでは、全くその性能は違ってくるわけですが、スイッチを入れればそれぞれその命の100%を成してくださる。仏の命を包み隠さず成してくださる。
そうした働きを持っている。そうした働きがこの世の全てにはあるわけです。
しかしそのようなこと以前に、それは確かに「存在」しているからそのような結果を受けるわけです。またそのような道を歩めるわけです。仏性を備えることができるわけです。我々に限らず全ての物事は「形」というあり方をすでに持っているから、そうした結果を招くわけです。いつでもどこでも結果を招けるわけです。
存在していれば、いつでもどこでも必ず結果を導き出してくれる。存在していればいつでもどこでも仏という結果を導き出してくれる。
なので仏性というのは「存在」とも言い換えられるわけです。
我々の存在がつまり、「仏性」だということです。
存在があれば仏を招ける。常に100の仏をいただける。
「存在」が非常に大切で、我々は今まさにその存在に恵まれているということです。
生まれている、今、こうして生きているというのは本当にありがたいこと、お救いなんです。生きているだけで恵みなんです。それだけで50%の目的は果たしているといっていい。
あとはその「器」でもって仏となるだけ。仏性を咲かせるだけ。自己を自己するだけです。
ストーブはスイッチをいれることで、働きをなす。仏の働きをなす。だから我々もそのストーブと同じく、スイッチをいれて動きださなければなりません。
自己を自己することが我々の生き方なのです。
いわんやそれが「坐禅」だということです。
ここで生まれたということ。今ここに存在しているということは、紛れもなく仏性を持っているということです。
その一挙手一投足が、仏です。仏作仏行です。
我々は皆尊く、皆仏の子であるというのはそういうことです。
本当、もっとみんな自分のことも、他人のことも大切にしたいですね。
普段の生活において行動が仏なのです。実物が仏なのです。なぜならそれはこの世界に存在しているものだからです。そしてこの世界というのは仏のみだからです。
足を組みましょう。仏の世界でいきましょう。
この世界に生きる我々は皆「仏の申し子」なのです。
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