「普勧坐禅儀のタイトルにもなっている普勧の意味とは?」普勧坐禅儀に学ぶ①

こんにちは、harusukeです。

本記事を皮切りに道元禅師のおしるしになった『普勧坐禅儀』を学んでいきたいと思います。

本記事はその第一弾と致しまして、『普勧坐禅儀』のタイトルにもある「普勧」の意味について解説してまいります。

記事後半では実際に、『普勧坐禅儀』冒頭の、

原ぬるに、夫れ道本円通、争でか修証を仮らん。」

の部分へと突入し、その解説もしております。

さて道元禅師は正伝の「坐禅」を初めて日本に伝えられた方です。

道元禅師は何よりも「真実の生き方」に目を向けられたお方で、「坐禅」こそ、その「真実の実践」であることを我々にお示しになられた人物です。

その「真実の実践」である「坐禅」において、普く人に向け「実践方法」や「心構え」をしるしたのが他でもないこの『普勧坐禅儀』であったわけです。

そのような前置きをさせていただいた上で、このblogでは今後、「50回」に渡ってこの『普勧坐禅儀』を皆さんと探求してまいります。

今回は記念すべきその第一弾として『普勧坐禅儀』とはどういった書物なのかについて主に解説してまいります。

それでは早速読み進めてまいりましょう。

この記事を書いているのは

こんにちは「harusuke」と申します。

2012年駒澤大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。

さて、我々は寝て起きると「昨晩食べたもの」がきちんと消化されています。

それではその食べたものを寝ている間に消化してくれたのは果たして「私」でしょうか?

ようこそ、真実を探求するブログ「禅の旅」です。

目次

『普勧坐禅儀』とは?

『普勧坐禅儀』とは道元禅師によってしるされた書物です。

嘉禄三年(1227年)に成立した書物で、当時の身分や生まれに関係なく、あまねく人々に「坐禅」の意義、行法を示した書物として知られております。

また正師、中国の如浄禅師の元で「身心脱落」をし、真実の仏法と巡り合うことのできた道元禅師は、日本にお戻りになって最初に深草の興聖寺においてこの『普勧坐禅儀』を著したと言われております。

その『普勧坐禅儀』には、道元禅師が中国からお戻りになって一番最初に書かれた「嘉禄本」、現在永平寺で所蔵されていて国宝にもなっている「天福本」、そして現代に我々が読むことのできる「流布本」この3種類があります。

道元禅師はその生涯で「只管打坐」を強くお勧めになりました。

「只管打坐」とは、

ただひたすらに「坐禅」をすること

というものです。

「坐禅」こそが「真実の実践」であるからに、その「坐禅」をひたすらに行じようというものです。

そしてその「坐禅」における「心構え」と、「作法」について記されたのが今回の『普勧坐禅儀』であるというわけです。

現代、坐禅は大きなムーブメントを巻き起こしておりますが、この『普勧坐禅儀』は人が豊かに生きるうえで大切な知恵が多く詰まった書物でもあると言えるでしょう。

また、道元禅師の著作で有名なもので『正法眼蔵』というものがありますね?

この『普勧坐禅儀』もその『正法眼蔵』と並び称されるほど、道元禅師の書物においては名著です。

いったんの結びとしてこの『普勧坐禅儀』を学ぶことは「坐禅」とは何か、「禅」とは何かを知るとと同時に、真に我々が「生きるとはどういうことなのか?」を知るうえで避けては通れない学びなのです。

それではいよいよ『普勧坐禅儀』、本文に入って参りますがまで以下の記事をご覧になっていない方は、是非一度お読み頂くことで、この『普勧坐禅儀』本文にスムーズに遷移していけるかと思います。

普勧の意味とは?

まず、道元禅師がしるしたこの『普勧坐禅儀』をこれから読み進める上で、タイトルにも入っている「普勧」の意味について触れなければいけません。

結論からいってこの「普勧」とは、「あらゆる人にこの坐禅をしていただきたい。」という事です。

要するにこの「普勧」とは、誰にでも普く勧めるということなので、「仏道」を志すもののみ、或いは「特殊な人」だけに留まらないという意味なんです。

道元禅師

あらゆる人に行じることができ、あらゆる人に行ってほしい坐禅です

という事で、この『普勧坐禅儀』をおしるしになっているんですね。

後程、『普勧坐禅儀』の文中にも出てくる言葉で、

「上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡ぶこと莫れ。」

というものがあります。

「上智」とは素晴らしい知能の持ち主という意味で、「下愚」とは非常に愚かなという意味です。

才能豊かな利人、或いは愚かな鈍者に関わらず、この「坐禅」は「普く、勧める」ということをしきりに述べられている訳です。

「誰でもが坐禅ができます。」ということ、そして「誰しもに行っていただきたい坐禅」であるということですね。

その作法であり、その書物であると。

だからそのタイトルは『普勧坐禅儀』であるということです。

普勧坐禅儀、全文

それでは一旦ここで『普勧坐禅儀』の全文に目を通していただきましょう。

普勧坐禅儀(訓読文)

原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。大都(おおよそ)当処(とうじょ)を離れず、豈に修行の脚頭(きゃくとう)を用ふる者ならんや。然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔り、違順(いじゅん)纔(わず)かに起れば、紛然として心(しん)を(の)失す。直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智通(ちつう)を獲(え)、道(どう)を得、心(しん)を(の)明らめて、衝天の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にっとう)の辺量に逍遥すと雖も、幾(ほと)んど出身の活路を虧闕(きけつ)す。矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳(めんぺきくさい)の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。古聖(こしょう)、既に然り。今人(こんじん)盍(なん)ぞ辦ぜざる。所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼の事(じ)を務(つと)めよ。
夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲飡(おんさん)[飲食(おんじき)]節あり、諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)れ。心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、作仏を(と)図ること莫(なか)れ。豈に坐臥に拘(かか)はらんや。尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の(もも)の上に安じ、左の足を右の(もも)の上に安ず。半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の(もも)を圧(お)すなり。寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。
所謂(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。唯、是れ安楽の法門なり。菩提を究尽(ぐうじん)するの修證(しゅしょう)なり。公案現成(こうあんげんじょう)、籮籠(らろう)未だ到らず。若(も)し此の意を得ば、龍の水を得たるが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。當(まさ)に知るべし、正法(しょうぼう)自(おのずか)ら現前し、昏散(こんさん)先づ撲落(ぼくらく)することを。若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。卒暴(そつぼう)なるべからず。嘗て観る、超凡越聖(ちょうぼんおつしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、此の力に一任することを。況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。豈に神通修証(じんずうしゅしょう)の能く知る所とせんや。声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。然(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。
凡(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま)にす。唯、打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)へらる。万別千差(ばんべつせんしゃ)と謂ふと雖も、祗管(しかん)に参禅辦道すべし。何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃか)す。既に人身(にんしん)の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。仏道の要機を保任(ほにん)す、誰(たれ)か浪(みだ)り石火を楽しまん。加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)は(た)草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しくこつ)として便(すなわ)ち空(くう)じ、須臾(しゅゆ)に即ち失(しっ)す。冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。直指(じきし)端的の道(どう)に精進し、絶学無為の人を尊貴し、仏々(ぶつぶつ)の菩提に合沓(がっとう)し、祖々の三昧(ざんまい)を嫡嗣(てきし)せよ。久しく恁麼(いんも)なることを為さば、須(すべか)らく是れ恁麼なるべし。宝蔵自(おのずか)ら開けて、受用(じゅよう)如意(にょい)ならん。

いかがでしょうか?

こうして全文にしてみると少し長く感じますね。

今でも永平寺では、毎日の「坐禅」でこの『普勧坐禅儀』をよむことになっております。

道元禅師のお膝元で、毎日道元禅師の『普勧坐禅儀』に触れる。

それが大切なんですね。

円通とは?

ここまでで簡単に『普勧坐禅儀』の基本をおさえていただきました。

早速ここから『普勧坐禅儀』の本文の参究に入って参りたいと思います。

今回は冒頭の、

原ぬるに、夫れ道本円通、争でか修証を仮らん。」

という部分を解説してまいります。

まず初めに原ぬるに、夫れとありますね。

この「原ぬる」という「原」という字は原点の「原」。

この原点の「原」というのは、そもそも山の水源を訪ね歩くという意味があります。

例えば「利根川」の水源は、水上(みなかみ)のずっと奥の、利根村という村の更に奥にあります。

そこが利根川の水源であるわけです。

また「夫(そ)れ」というのは「本当の所」という意味になり、実際に昔にも使われておりました。

なので原ぬるに、夫れというのは、原点を辿って行ったならばということなので、ここでは、

「仏法の根源を訪ねてみたら」

という意味になります。

そしてそれは「道本円通」だということなんですね。

どういうことか?

「道本円通」の「本」というのは、「本よりこのかた」という意味ですね。

本来という意味で、「本」という風に読みます。

また「道本円通」の「道」というのは菩提という事です。

つまり「菩提」とは「大自然の在り方」の事ですが「道」という風にここでは読みます。

本来の在り方の事をこの「道」と読むんですね。

また「円通」というのは、何にも引っ掛からないということを言います。

どこかに引っ掛かればそれは「円通」ではないんですね。

例えば、「欲」に引っ掛かったり、「不安」に引っ掛かったり、色々なものに人間は引っ掛かってしまいますが、「円通」であればそういったものにも引っ掛からない。

「修証義」という曹洞宗の聖典の中に、

「声色の奴婢と馳走」

という言葉がでてきます。

これは人間が「欲」などに振り回され、例えるなら海そのものではなく、海の表面でしかない「波」に振り回されている様子を表したものです。

そのように「欲」に振り回されることを「声色の奴婢と馳走」と言います。

そして「声色の奴婢と馳走」すればあらゆる「欲」に引っ掛かってしまう。

しかし我々の生きる「本来の命」には何も引っ掛かりがありません。

無条件で「呼吸」をし、無条件で「消化」する。

円通そのものであり、「円」である。

なので「道本円通」とは、

本来この方、今まで長い事変わらずに、少しも変化なく、足し増しなく、我々の真実というものは円通である。

ということなんですね。

かの有名な松尾芭蕉が次のような詩をうたっております。

閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)。

夏、ミンミンミンミン、「蝉」がうるさくてしょうがない。

しかし、芭蕉のこの「詩」からすればその「蝉」のうるささは、「静かさ」だというんですね。

何かしらの引っ掛かりがあれば、確かに「蝉」の鳴く声は非常にうるさく、「騒音」であります。

しかし本来、「円通」なんですね。

この世界に引っ掛かりは何もない。

本来我々はそういった円通の世界を生きております。

しかし先ほど言った、「声色(欲や不安)」に引っかかると、円通ではなくなってしまいます。

本来この私の命、この世界の在り方は「円通」であります。

なんら引っ掛かりがない。

例えば「市会議員」に当選した人は先生と呼ばれ、当選できなかった人は落選者と呼ばれる。

しかし「市会議員」に受かろうが、落ちようがその命の源としては変わらない。

なんらその両者の「命」には差がない。いうまでもないですね。しかしそんな簡単なことを我々は忘れてしまう。

差がない、引っ掛かりがない。それを「道本円通」というんですね。

つまり、本より円通

という訳です。

我々人間の物差しからすると「先生」と呼ばれる人がいたり、「落選者」と言われたりするだけで、

仏の物差しで見たらなんらそこには差別は一切ない。全ての出来事は「円通」であり、道本円通である

ということなんです。

我々はその時の思惑によって「騒音」と感じたり、「静音」と感じたりします。

しかしみんな本より円通であると。

ここまででいったんの結び。

続いて、「争か修証を仮らん」について。

「修」は修行の意味で、「証」は悟りの意味です。

つまり「争か修証を仮らん」とは、

修行して、「悟り」を得るというような手段をどうして必要としようか。

この世界、この命は「道本円通」あるはずで、それならば我々は元々悟っているじゃないか、元々真実丸出しじゃないか、という事ですね。

つまり、

道元禅師

「修証」という、こっちからあっちへ行くような「狙い」を付けたり、ああなろう、こうなろうという思惑で、一生懸命頑張る必要がどこにあろうか。

という事なんですね。

ただ自分が自分を行じれば何も問題も心配もありません。

完全無欠な命をみんなそれぞれ生きているからです。

それなのにこっちからあっちへというような「転迷開悟」する修行を、何故行うのですか?ということなんですね。

そのような手段、手立てをどうして必要としようか、という事なんです。

もっと言ってしまえば、頑張って修行してなんとしても「悟り」をひらこうなんていうのは実に愚かな事だという事でもあるんです。

人間の思惑に支配されなければ全てが「道本円通」であるということなんです。

人間の「思惑」のせいで人間は行き詰って、もがいている。自分を苦しめているのは自分なんですね。

それを手放した途端に「真実」に生きていることに気付ける。

だからこそ「坐禅」なんですね。

そのような個人の物差しとは関係のない「真実の実践」である「坐禅」なんです。

「生命の実物」の実践であり、「命の正体」に立ち帰る「坐禅」なんです。

『正法眼蔵』生死の巻の中に、以下のような言葉があります。

ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。

これはつまり、

人間の思惑を一切、捨て去ってしまう。そうしたならば、力をも入れず心をも費やさずして「生死」に囚われず、「仏」となる。

という意味なんですが、ここでいう「仏の家」というのが「坐禅」なんですね。

「仏の家」というのは「真実」なんです。

「坐禅」をすると、どこからやってきたのか激しい足の痛みに襲われます。

「坐禅」をすると、色々思考に駆られます。

「坐禅」をすると、カラスや自動車の音が際限なく耳を出入りする。

「坐禅」をすると、自分でやれ!とも言わなくても延々と呼吸を繰り返している。

これが「命」の正体なんですね。

なので「仏の家(坐禅)」に自分を投じれば、そういった「命の正体」に気付くことができるというわけなんです。

「人間の思惑」を手放した途端に真実に目覚めることが出来るということなんです。

今回の『普勧坐禅儀』、

「道本円通、争か修証を仮らん。」

は非常に重要なポイントであります。

まとめ

今回は『普勧坐禅儀』の、

原ぬるに、夫れ道本円通、争でか修証を仮らん。」

という冒頭部分を解説してまいりました。

それでは最後に本記事のポイントを振り返りましょう。

本記事のポイント
  • 「普勧」とは特別な人に限ったことではなく、誰しもがということ。
  • 『普勧坐禅儀』とは普く人々に道元禅師が「坐禅」の実践方法や心構えをしめしたもの
  • 我々の住む世界、我々の生きる命は本来円通である。
  • 真実をもとめる為の修行をしなくとも、今こうして真実を実践している。

以上、お読みいただきありがとうございました。

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