harusuke– Author –
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我々は「人間」ではなく、なぜ「仏」なのか?
我々は仏です。人間ではありません。 今回は生物学的な話かな?哲学的な話かな?この人大丈夫かな? いつも心配をかけ、本当に懲りないやつで、すみません。笑 そこでいうと私自身、今回の話がどういったジャンルに該当するのかわかりません。 いつも意味... -
いつも100の仏をいただいている。いつも救われている。
人の世界には貧富の差があります。あるいは性格の差、あらゆる境遇の差、容姿の差、能力の差、頭脳の差。 こうした様々な差があります。 さらにそのような「人としての差」以外にも、今置かれている実状況においても差が生まれたりします。 例えば毎日の通... -
仏の命として繋がっているとは?「雑草」という名前の草花はない。
今『雑草』に関して辞書を引くと、 我々人間の望まない場所に生える植物の事 とあります。ひどいものです。 人間からすればその草は雑草か、雑草でないか。或いはそれは部屋に飾ることのできる綺麗な花か、そうじゃないか。せめて食べられるものか、それと... -
仏道とは?
「仏道」とは仏の道と書きます。 そもそも「仏」とは何か?「仏」とは我々のことです。またそれは、 この世界の確かなことです。 例えば自分の屁は自分でこかなければいけない。肌をつねれば痛い。足を組めば痛い。こうした確実な要素が仏であり、それはこ... -
仏法に気づいてからが本当の人生の始まり。成仏すること。蕾は咲かさなければならない。
「眼横鼻直」。 これは道元禅師のお言葉です。目が横に鼻が縦に付いている。という我々の体にあっては、「当たり前」のことを述べられているわけですが、これが「全て」だったというんですね。 中国へ渡りそこで5年もの期間修行をされ、日本に帰国した道元... -
「事実」が仏法。今ここ、全てが仏法。
ある人が言われた言葉に「自分というハンドルは自分でしか握れない。」というものがあります。 また道元禅師も「眼横鼻直」という言葉を残されております。 これこそが真実だった。仏法の全てだったということですね。 今回は今述べたこの「2つのこと」に... -
我々の使命は仏道を歩むこと。「成仏」すること。
「また大きく出たな」と、そんな批判の声が聞こえてきそうでビクビクしております。笑 今回もお付き合いください。 いつの時代でも、そこにある「人の悩み」。生きていく以上、我々に悩みは尽きません。 しかし、もし「正しい生き方」というものが分かれば... -
『永平広録』第472段の上堂
今回は道元禅師がおしるしになられた「永平広録」の第472段の上堂を参究します。 『永平広録』第472段の上堂 『永平広録』第472段の上堂 上堂。挙す。三祖大師云く、「至道無難唯嫌揀択」と。這箇を見聞して知らざるものは則ち云く、「諸法善悪なし、一切... -
地球が滅亡しても大丈夫。なぜそう言えるか?
我々の住まう地球。その地球が今危機に瀕していると言います。 そこで人間はこれまでの過ちを悔やみつつ、今後の地球のためにサステナブル活動を積極的に行ってますね。 私自身もずっとこの美しい地球が続いていけばいいと思いますが、この地球の今後につ... -
なぜ「涙」が出る?「わからない」が救いで正しい。痛いから痛い。感動するから感動する。仏教とはこれ。
私は「仏教」を信じております。その「仏教」とは何か?仏教とは一言で言えば「絶対的事実のこと」だと思っています。問答無用で腹が減る。問答無用で食べたものを消化し、排泄する。問答無用でカラスの声やストーブの音が聞こえてくる。自分の屁は自分で...